Mは小学生。
兄は中学生。

大人しくてお坊っちゃん育ちの優しい兄はもういない。
何がそうさせたのか。
過酷な環境は無垢だった瞳を殺すに十分すぎた。

不良グループと遊ぶようになって家には寝に帰るだけで可愛がっていたMにも構わなくなっていた。

M子は姉からお金を借りて南にスナックを開店。
3度目のお店だった。
最終電車に乗って帰って来ない時も多かった。
この頃になると父はどこにいるかさえわからなかった。

「Mちゃん髪の毛伸びたね~」
くしを磨がしながら愛情たっぷりに言うのはM子の妹T子だった。

「T子おばちゃんがいろんな髪型してくれるからずっと切らへんもん」
Mは土曜日になると市内のおばぁちゃんと美容師のT子叔母がいるマンションへ行き月曜日か火曜日に帰るのがお決まりで、そのまま水曜日、木曜日と学校休み続けることもしばしばで、夏休みや冬休みはずっとマンションで暮らした。

MはM子の母と妹から愛情を注がれていた。

「あんたはニクッタラシイ子やな」
父方の家にはよくそう言われてた。
振り返れば本当に可愛げのない子だったと思う。

お年玉ももらったことないし、もちろん抱っこも頭撫でてもらったこともない…小学校低学年で父方の両親は続くように亡くなったけど涙1つでなかった。
父は親族中に借金していたため葬儀のたびM子が囲まれているのが印象的だった。


Mが忘れていた涙を流したのはM子の母(おばあちゃん)が死んだ時だった。
沢山可愛がってくれて、最後はほとんど生活を共にしていた。
おばぁちゃんはいつも手を握り「ごめんね、あんな母親で(娘で)。おばぁちゃんが体が悪いせいで寂しい思いさせたから愛情を知らん子なのよ…Mちゃんは優しい子やからね。忘れたらあかんよ。誰も環境も憎んだらあかん…幸せになるんよ」と、何度も幸せになれと繰り返した。
最後の時も「Mちゃんは幸せになれる子や」と言って帰らぬ人となった。
Mは泣くということができなかった。
そういう線がいつからか消えてしまって、泣き方を忘れていた。
それが火葬場からの帰り道バスに揺られ、モクモクと空に上がる煙を見ていると、おばぁちゃんの笑顔が浮かんできて「幸せになるんよ」とこっちに手を振ってる気がした。
すると大きな瞳から涙が1本頬を伝ったのがわかった。
手で確認したら何だかホッとして、そのあとは1時間取り留めない溢れる涙で周りを驚かせた。

どこか心を落として生きてる気がしていた。

大人に可愛いと愛されるために作るのが笑顔だと思っていた。
泣くとM子の機嫌が悪化するからMは幼くして泣く意味はマイナスでしかないと理解した。
叩かれても不気味に笑った。
M子は扱いにくさをどんどん感じていった。

T子は独身でMを可愛がっていた。
よく「ねぇさんがMのこと嫌いなら私の子にしていい?」と本当か冗談かわからない曖昧なニュアンスで言っていた。
その言葉がどれくらい本気あろうがなかろうが、Mの心を救っていた。
"居場所がある"
大きな安心感に包まれていた。
あの時までは…

心の大きなしこりは今でも時々どうしようもなく疼く…
鈍い痛みで、長く、深く…孤独。


「T子おばちゃん!!!どうしたん!!!おばちゃん!!!」
お風呂場の方から大きな音がしてMは真っ青になって倒れているT子を見つけ駆け寄る。
お風呂場に続く血痕をお構いなしに踏みつけて。
T子は意識が朦朧としている。
「M…救急車を」
足元に目をやると血だまりができていた。
Mは無我夢中で電話台に向かって走った。
110?いや119…119…119!
ちゃんとかけれた。
住所もちゃんと言えた。
Mが小学校5年の時のことだった。


続く