浅草の劇場へ。
昭和の懐かしい茶の間のセット。
アナログレコード、昭和アイドルのポスター。
少しホコリ臭い感じも懐かしい。
寄り掛かるとキラキラが肌にくっつく砂壁かな。外装はきっと青いトタン屋根だろうな。西日で夏は部屋は蒸し返すだろうな、、、。などと、幼少期を過ごした自身の思い出を巡らせながら舞台セット以外の所まで妄想が膨らむ。
「五月、忘れ去られた庭の片隅に花が咲く」鄭義信 演出・監督
1981年に発生した北炭夕張新炭鉱ガス突出事故を元に描かれたこの作品は、高度経済成長後期における家族の形や労働者の苦悩、時代の移り変わりのまさに狭間が詳細に描かれている。
舞台では昭和を象徴するアイドルやカーペンターズの曲が採用されていたが、私の脳内ではスペイン音楽のFLAMENCOにあるTARANTOSという曲が鳴っていた。
TARANTOSは、スペインはアルメリア県の鉱山の歌と言われており、苦しい労働を強いられる彼らの魂の叫び、死と隣合わせに生きる彼らジプシーの生活を歌ったもので、まさに今回の舞台テーマにリンクする。
雨漏りのする小さな屋根の下で、炭鉱で働く男兄弟と、気丈な女性とその息子の姿がまた洞窟暮らしのジプシーだ。
本公演の役者の皆さんの熱量もまた、FLAMENCOが頭に浮かぶ要因だった。
約2時間という決して短くない公演だったが、間合い、掛け合い、緩急強弱がとにかく素晴らしく、舞台に多い中弛みも一切感じられない全力投球であっという間に感じられた。
最前列のかぶりつき席だったので、尚更彼らの息づかい、充血していく目、滴る汗ひとつひとつが情報として入ってくる。
不整脈が誘発されそうな突飛もない大声、ドタバタと入り乱れまわり何度も笑いを誘うかと思えばぐっと心臓を捕まれ泣かされる。
私の持っている感情全てを吐き出させられる感覚で、観ているこちらも終わる頃にはクタクタに疲れてしまう熱量だ。
「役者をサボらせない、休ませない演出」は鄭さんイズムだと今回誘ってくれた役者の友人が教えてくれた。
彼らはまさにジプシーの叫びだった。
東北育ちの私は、山も多く、炭鉱場所も少なくなかったので、近所にも炭鉱で働いてきたおじさんたちが何人かいた。
「みんな、肺がやられちゃってね、、、」
元炭鉱夫のおじさんたちが今何をやってるのかを母に尋ねると、母は瞼をおろしながら、こうひとことだけ言ったのを今でも覚えている。片腕がないおじさんもいた。
昭和、戦後といえば、学生運動、労働運動、女性の人権運動、、。
全身を泥だらけにしてボトムアップの力をと燃えた時代。
私の父も電電公社の労働運動筋金入りのひとりだったのでなんとなく肌で覚えている。
死ぬ思いで生き抜く人生。
長さではなく太さのある人生。
人生とはなんなんでしょう。
生きる力ってなんなんでしょう。
色んなことを巡らせてくれた、本当に素晴らしい舞台でした。
「五月、忘れ去られた庭の片隅に花が咲く」
鄭義信 演出・監督