風鈴
人は言葉を使うとつい、意味に固執してしまうものだ。ユークリッドは自らの数学の設計において、思考に余計な意味が介入するのを厳しく戒めたのである。だからこそ、彼の形式に従うものは、ただ空っぽの渾身で数学三昧に徹するほかない。僕が中学一年生の時に感じた「爽やかさ」の本日はひょっとするとこういうところにあったかもしれない。
中略
数学をしているかぎり、思考に自我が介入する隙間はない。それでいて、思考を放棄するというのでもない。
ただただ渾身で、数学の風を浴びるのである。
何かを語ろうとするのではない。かといって、沈黙するのでもない。
虚空に吹き抜ける風を音色に変えて、「一等侘の為に」これを談ずるのである。
生涯は短い。
人生は儚い。
しかし、風は休みなく吹いている。
* * * * * * * * * *
この文章の前に
「生きるということは、虚空に風鈴が鳴ることに似ている。」
とある。
私にはこの方のような数学はできない。
でも言葉による思考を止める時間を持ちたい。
風鈴のような生き方がしたい。