※写真撮影は内覧会で特別に許可頂いております。

ブロガー内覧会に行って参りました。


入り口前のこの作品は歌舞伎の引き幕(複製)、17メートルあるのですが、なんと僅か四時間で描いたと。
《新富座妖怪引幕》(複製)
これはエンパクの所蔵

暁斎のひ孫、暁翠の孫の楠美さん、河鍋暁斎記念美術館館長でいらしゃいます。


さて、今回は父娘の作品の競演となります。
全て河鍋暁斎記念美術館からの出品。

前半は、暁斎の定番の作品、
まず17才の作品《毘沙門天像》
鍋楠美館長曰く、「これを大学進学前に見て画家の道を諦めた、腕が違いすぎる」と。
19才で卒業。普通は30~40代なので何とも早いこと。

3才でカエルの絵を描いたとの事からこちらそのものでは無いのですが、

いやゆる、百円カラス、ちなみに東京の青山で一戸建てが三十円で買えた時代です。が、百円で購入したのは、榮太樓本舗店主・細田安兵衛。


今回の展示の特徴で、下絵が多数あること、
さすが河鍋暁斎記念美術館だけありますね。

暁斎と言えば動物画も。

鯉が真っ正面向いてますよ。
お抱え外国人技術者のコンドル旧蔵。



で、美人画、やはり、地獄太夫は見たいものです。

美人と蛙もね、チラリズム見えますか。

また、デザインも手掛けてたのですね、ちょっと見ただけでは暁斎作品だとは分かりにくいかも。老舗いせ辰の千代紙。


再び定番へ

仏画仏画~

暁斎にかかれば、風神雷神もこうなりました。

鍾馗(しょうき)ですね。端午の節句の厄除けで定着。

よく見ると狩野派のようです。


幽霊もこんなもんさ。

閻魔様


天狗は天狗でも飴天狗。

弥次喜多がロンドンまで行ったと仮定、こんな会議に参加したのだと



こんな文人画も描く、極めて希な作品。


そして、出ました屁~

これは多数撮影しましたが、この位に。面白すぎます。芋を食べてから、屁、と流れて行きます。

書画会、好きな画家のところに行き即席で絵を描いてもらえる。
1日に200点描いた記録があるとは驚き。
拡大

電信柱ですか。

頭長っ。
で毛を剃る様子が見えますか。
とまあー、色々あります。
名だたる美術書籍にも、日本を代表する画家として取り上げられるものの、後に狩野芳崖に代わられてしまう。
彼のフエノロサの影響もあり、このように画風が固定せず、暁斎が後に世間で評価されない時代が来てしまう理由にされていたと。
浮世絵の国芳に弟子入り、そして狩野派へと、そんな経歴、誰もが出来るもんではないのにね。

さて、
半ばには、能や狂言に絡めた作品、暁斎が?と思いましたが、それのみならず、娘の暁翠の作品が平行して並べられてます。非常に似てるがどこか女性っぽい気がしました。


三番叟(さんばそう)


道成寺の鐘、展示用の作り物、舞台で使われたものと同じ素材でサイズが小さいと。


これから暁斎の能や狂言の作品見たら、あっ、と思うことにします。

ここからが暁翠
いきなりスイッチです。



この屏風が秀逸過ぎます。



カラス描いてますね。


やはり、女性の作品だなあと思いました。

ここで、再び暁斎
版画と印刷物ですね。

「お老なまず」、暁斎の錦絵第1号であったが、それは歌川豊国風の女性と鯰の格好をしている遊び人の組合せ






他に印刷物がありました。それらも見ものなのですが。
この様な作品は、当時明治の世の中、狩野派が人気無くなり、間口を拡げて行かないと食いぶちが無くなると言うやむ無き事情もあったと、付け加えておきます。

そして後半には、その暁翠の作品が並びます。
ご本人の写真

ちなみにこれが、暁斎が贈った手本。

ご本人曰く、狩野派。




やはり下絵。
これ以降、暁斎の展示と似たような構成かなあと、思えて来ました。

亀が蓬莱山支える、昔の地球観かと。

なんと帯です。

桜の時期に相応しい。





百福図
どことなく、書画会の作品のようです。
が、女性はやはりこちらでしょうか。


象の上に美女
燃えるような朱。
紅葉です。
養老乃瀧をモチーフにした作品。





木版画と言うか浮世絵も手掛けてたようです。




やはり美人画はやはり女性っぽい大和絵、似た画題の作品が並び、浮世絵やファッションプレートのような版画作品も、また女子美術大学での絵画教師として、絵画の指導に当たられた時の資料が出品されてました。



出品は身内らしく、下絵はもとより、葬式饅頭の納品書なども、また、ラストは暁斎の絵を見てイギリスの子供が描いた作品から、ア週間ジャンプに掲載された漫画「ワンピース」の暁斎作品からインスピレーション得た構図の絵画などもあり、多角的に暁斎、もちろん暁翠も捉え拡がりを感じる内容でした。

葬式饅頭の注文書



暁斎の交遊図
海外の方が多いのに驚き。パリのギメ美術館のエミール・ギメとお連れの画家フエリックス・レガメとの交流が知られています。

また亡くなった知らせがパリの新聞に経済された最初の画家だと伝えられてます。

これは、書画会で政府の役人を批判した絵を描き逮捕された時の言い訳書。「酔っぱらいよく覚えてません」と書いてあるらしいです。これで、狂斎から暁斎に名前を変えたのでした。ちなみに、ぎょうさい、ではありません。きょうさい、ですよ、と楠美館長より。

さて、後世になり、暁斎作品をモチーフにした作品。

これは英国の子どもが暁斎作品見て描いたもの。
なんか良いですよね。

ジャンプ
ワンピースですね。
これが

ラストは現代、スイーツです。

田中弥生(東日本アイシングクッキー協会代表・シュガーアーティスト)さん制作。




東京富士美術館
~6月24日