なんかさ…ふと思った🙋
人って生きているだけで、根元的に喜びと怒りを持っている…快と不快
何が言いたいか?
この根元的なものが、現実の事象を使って、出たり入ったりしていると言う仮説を立てたの✋
そうするど、感じている事象そのものは、単なるフィルターに過ぎないのかなと😲
つまり、怒りを溜めていれば、怒りを表現出来る事象をひたすら追い求める…
認知行動療法では、
出来事→考え方→感情が湧く
こちらでは
感情→考え方(後付け)→出来事を選ぶ
アドラーは、
目的→手段として…感情を使う
ふむ、現実はこれらの混合なのだろうなー
相変わらず、マニアックでしつこくて、すみませんw
簡単に言えば、思春期のイライラ😡⚡した子供が、先生に当たるってことだねw
不快を溜めないで、不快の内訳を認識し、適切に表現するのが、大人だもんね!