「エゴ」という言葉に何か

 

ネガティブなイメージが入ってしまってて

 

「自我意識」という言葉で

 

捉えてみようと思い

 

 

 

ある日

 

靴箱を整理しているときに

 

ふとこんな言葉が.....

 

 

 

 

「どうしてエゴを悪者にするの?」

 

 

 

 

 

大きな声でハッキリと頭の中に響きました

 

 

どんな言葉を使おうと

 

エゴはエゴで

 

見つめざるを得ない

 

 

頭の中のエゴは

 

少し悲しそうでした

 

生きているかのように

 

訴えてきました

 

 

 

 

 

 

すべて見破られていて

 

観察されているなと

 

思いました

 

 

 

 

 

 

 

一度病気で死にかけた時があり

 

そのエゴがどこかに消えてしまったような

 

感覚になったことがあります

 

 

 

一時的だったけど

 

本当に不思議な感覚でした

 

 

もうお役目が終わりそうだと

 

思ったのかもしれない

 

 

 

 

持っていたネガティブな感情で

 

心が潰れてしまわないように

 

体も身代わりになってくれていた

 

ずっとずっと必死に命を守ってくれていた

 

 

 

 

どうやら命助かったみたい

 

と気づいたときに

 

 

またそのエゴが

 

「ポーン」と

 

戻ってきました

 

 

 

また人を非難・ジャッジする

 

元の自分に戻ってしまいました

 

 

 

自分を守るために

 

傷付かないようにするために

 

ジャッジする

 

でもそれは結局

 

自分へのジャッジなんだけど......

 

 

 

ものすごく心配性で

 

身体も心も

 

傷付かないよう

 

守ってくれていた

 

完全に自分を守っていてくれる

 

なのに悪者

 

ネガティブ扱いしてしまっていた

 

 

 

身体も自分のものと思っていたけど

 

自分のものではなく

 

ずっと身代わりになり

 

守ってくれていた

 

 

 

今頃気づいてごめんねと

 

謝りました

 

 

 

ちゃんと観察して

 

納得させてあげないといけないと

 

思いました

 

 

 

優しさの中に隠れていたり

 

愛情の中に隠れていたり

 

ひっそりと隠れていて

 

見つけにくかったり

 

逆に分かりやすかったり

 

暴走したりと

 

複雑だなと思います

 

 

 

いつも守っていてくれているけど

 

自分に対してだけという

 

都合の良いもので

 

自分にとって都合の良いものだけを

 

良いと判断したり

 

あるがままを見れないのかもしれない

 

 

やっぱり

 

決別しないと

 

いつまでも苦しい

 

 

 

エゴについて見つめ直す

 

いい機会となりました

 

 

自分がクリアになれば

相手もクリアになる


エゴで放つと

エゴで返ってくる


知識だけではわからなくて

体験してみないとわからない

 



傷付いているのはエゴの自分

 

傷付いたというならそれは

自分の思考で自分を傷つけているだけ

 

エゴが傷付いているだけ

本当の自分は傷付いていない


 

でも思考は自分ではないという

 

 

 

それに気が付いて

 

自分を赦していくのがいいと思う

 

赦しとは

 

解放していくこと

 

やっぱり

 

陰陽どちらも体験しないと

 

気づけないように

 

出来ている

 

 

でもエゴもスピリットも身体も

 

ここで体験するための

 

大切なものであることには

 

代わりないと思いました