【中野友加里のスケーターたちの素顔】「弟」崇彦の完全燃焼見届ける | 浅田真央さん&浅田舞さん 応援ブログ

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【中野友加里のスケーターたちの素顔】
「弟」崇彦の完全燃焼見届ける  
(2014.9.1 11:05)

 名古屋のフィギュアスケート選手が必ずと言っていいほど出場する大会があります。

 フィギュアスケートの醍醐(だいご)味といえば、ジャンプかもしれませんが、この大会はスピンやステップの技術や演技の表現力で競う一風変わったものです。名称は「小塚トロフィー(杯)」。まだ幼かった私は「コヅカって何だろう」と疑問を抱きつつ、出場した級での優勝を目指して滑っていた記憶があります。

 後に知ることになりました。「コヅカ」は1989年から始まったこの大会の創設者で、愛知県を“フィギュア王国”と呼ばれるまで礎を築いた小塚光彦(こづか・みつひこ)氏の名字だったということを。そして、私の少し下の世代に「フィギュア界のサラブレッド」と称される光彦氏のお孫さんがいることも。68年のグルノーブル五輪に出場した嗣彦(つぐひこ)氏を父に持つ崇彦(たかひこ)選手。後に現在の日本男子の黄金世代を築くことになるスケーターの一人です。

 同じ愛知県育ち。小学校のころは、別のスケートリングで練習していたのでそれほど交流はありませんでしたが、スケーティングのうまさはすでに知れ渡っていました。私も初めて彼の滑りを目の当たりにしたときは、衝撃を受けました。

 スケーティングがうまいというのは、一般的に上半身が安定し肩の力が抜け、氷に吸い付くような滑りのことを言います。ひと蹴りでどれだけ氷上を進めるか。スケーティングがうまい選手は、数回蹴るだけで、リンクの端から端まで滑ることができるのです。

 崇彦のスケーティングは無駄な力が入っておらず、滑りに変な癖もありません。これは生まれ持った才能であり、そのスケーティング技術をうらやむ選手は少なくありませんでした。世界でも1、2を争うレベルなのです。

悩む私にアドバイスも

 私は早大に進学後、崇彦選手と同じ佐藤信夫先生の指導を受けるようになりました。改めてゼロから徹底してスケーティングの基礎をたたき込まれることになったのですが、染みついた癖を修正することにすごく苦労しました。

 大学1年のときは、実家がある愛知県から横浜のリンクまで通っていました。当時はまだ高校生だった崇彦も名古屋から通っていたので、よく一緒でした。私が悩んでいることを傍らで見ていた崇彦から、アドバイスをもらったこともありました。

 2人で目指したバンクーバー五輪。私は夢かなわずに引退し、彼は見事に出場切符をつかみました。最終予選を兼ねた全日本選手権のフリー終了直後、弟のような崇彦が、私の結果に半泣きになって駆けつけてきてくれ、その姿に、思わずもらい泣きしてしまいました。

 後に彼は後にこう言っていました。「一番近くで、同じ目標を持ってお互いに頑張ってきた姿を知っているからこそ、ほんのわずかな差で一緒に行けなかったのが悲しかった」。私が努力していた姿を見てくれていたからこそ、悲しんでくれたのだと、今でも感謝しています。

 バンクーバー五輪で8位入賞を果たした崇彦は、日本男子初の銅メダルを獲得した高橋大輔選手から五輪後のテレビ番組で「次は崇彦の番だ」と指名されていました。サラブレッドの未来はすごく明るかったように見えました。

悔しさバネに奮起を

 しかし、その後の4年間は、本人も予想していたものとは違ったと思います。五輪直後の世界選手権で銀メダルを獲得したところまでは良かったのですが、下の世代から羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手や町田樹(たつき)選手らが台頭。大ちゃんを追い越して飛躍するはずが、逆に追い上げられる立場になりました。

 ルール変更もあって、4回転ジャンプの確率と精度が求められる時代になりました。4回転を成功させないと点数が伸び悩み、トップスケーターは4回転の確率と精度をどんどん上げていきました。滑りやステップに定評があった崇彦は、4回転の成功率を上げるのにかなり苦しみました。

 演技を見ていると、体力的にも年齢とともに少しずつ厳しくなっていき、満足に練習を積むことができなくなったのではないかと思います。けがもあり、結局は4年前の私を思い起こすかのようなわずかな差でソチ五輪出場を逃してしまいました。

 その後、崇彦は現役続行を表明しました。まだ完全燃焼できていない、まだできるという思いが強くなったのでしょう。表情からも、納得していないように見えました。

 日本代表クラスでは、大ちゃんが休養している今季は最年長です。けがで苦しんだ大ちゃんもそうですが、年齢を重ねることでけがのリスクも高まります。崇彦もこれからは体との相談になるでしょう。ここから先は一日一日が勝負だと思って挑んでほしいです。

 「引退」の2文字もちらつく中での戦いになるかもしれません。ソチを逃した悔しさをバネに、崇彦が奮起する新シーズンがまもなく始まります。

 崇彦はかつて、世話焼きの私を「横浜のお母さん」と呼んでいました。年齢的にはお姉さんですが(笑)。弟のような存在である崇彦が、フィギュアスケートを極め、やり切るまで、“姉”として見届けたいと思います。(元フィギュアスケート選手、フジテレビ職員 中野友加里

 ■なかの・ゆかり 1985年、愛知県江南(こうなん)市生まれ。史上3人目のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に成功し、2006年~08年まで3年連続で世界選手権日本代表。10年に現役引退し、フジテレビに入社。早大大学院修了。著書「トップスケーターの流儀~中野友加里が聞く9人のリアルストーリー」(双葉社)が発売中。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140901/exe1409011105001-n1.htm