元判事の井上薫氏という方がいる。
もう何年も前であるが、裁判官の再任をされず、弁護士に転身し、執筆活動も行っている元判事の方だ。
・・・ちょっと要約しすぎた感がありますが、そこは自分で調べてねw
井上氏の執筆を読む。。
YOUTUBEで「博士の異常な鼎談」を見る。。
私は井上氏の考え方は至極妥当だと感じた。
なぜなら、情状酌量などの情緒的なものは常識的な範疇(何を持って常識とするかはおいといて)においての
判断であり、彼の常識は、言葉は端的で、前後の脈絡は無い、注意して聞いていないと善・悪
どちらの事を肯定しているかわからない、といった混乱が起きるのだが(笑)
一般人と差異は無いと感じる。特段、おかしくは無い。
要は、結論はどうなのか?ということに対し、裁判官の職務をよく踏まえたうえで忠実に行っていただけに
過ぎなかったのだ。
だから、至極妥当であると感じたわけだ。
このような人の存在は、非常に有意義と私は考える。
なぜならば 「なぜそう思わなければならないのか?」 「慣例・判例に従わざるべき根拠は何なのか?」
といったような素朴な疑問に立って主張する人間は、司法組織の中では少ないと感じているからだ。
なので非常に有意義な、かもすれば、一石を投じられる(投じていますw)人物だと感じているわけだ。。
井上氏が言っていた、裁判官も会社と同じ。
ということが、井上氏の言いたいことの半分の意味を占めているような気がした。
裁判官の独立と謳われていても、所詮は国家公務員。特別職だけど、。
人事評価も気にしなきゃいけない組織で、出世、公務員人生を考えりゃ、無茶できない人が多いよねっ・・・て。
井上氏を全面的に肯定するに当たっては、私の法学的知識は乏しいので、みなさんとの討論に至らない。
討論するなら、たとえ話とかで簡単にしてねw
しかし、このように井上氏が裁判官時代の心情を赤裸々に語ってくれなければ、無知な者は
「お上の言うことは正しい」ということを、いつまでも信じ込んでいた人も多かったのではないかとも思う。
かくいう私もそうなのだから、笑が止まらない。
私の結論は、この氏のような理系的思考を持った人間は、非常に分かりやすく好感が持てるということである。
理系の人間、文系の人間、と隔てる言い方は、本来好きではないが、結論に至るプロセスにおいて、
客観的実数証明を大多数とする前提を経ての結論を導き出す考え方、と、客観論的多数論を主眼とした上での
客観的証明を含む論述、では、結論の方向性の違いはあって否めないと思っている。
し、、、そもそも本質の捉え方が違うので、結論本質に差異があるものと考えている。
だからこそ、理系の頭で考える、といった至極単純な考えは。司法界においては重要ではないかと考えている。
残虐な殺人などの事案(何を持って残虐かはおいておく)では、心情的な配慮を司法機関に期待するのは、
心情として当然のことだと私も思うし、私が被害者の立場になったとき、まず、司法機関に頼るしか選択はないと
感じざるを得ないし、他の選択肢を選ぶ余裕は全く無い。
実際、「名古屋OL闇サイト事件」では、私的に悲惨だと感じた結果、署名を行いたく実行したものであった。
(なにをもって私の悲惨さは、とは今はおいておく)
「司法機関は立法機関にはなれない」・・・今の日本は。
しょうがないんです。憲法がそうなんだから。
これについては、これでしかるべきと思っている。
誰が権力あるのってなったら、国会でしょ。
憲法に「国会は「国権の最高機関」であって、「国の唯一の立法機関」」とあるじゃない。
・・・それで、司法について反論がある方は、立法機関の人間、国会議員の選定に力を入れる
それこそが先決なのではないかと思う。
みんな、本質を間違えちゃだめだと思うよ。
しょせん、司法機関は立法機関ではなく、国権の最高機関でもないのだから。
国会議員の政策について真剣になったほうが、司法改革も何もかも近道に感じます。
まほ瓶