「♪だけど ドラえもん いい男~(ウホッ!)」。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 テレ朝で放映が始まってから、今年で放映42年となる『ドラえもん』のアニメですが、それ以前に、日テレでも『ドラえもん』のアニメが放映されていた事を憶えている人は、果たしてどれだけ居る事でしょうか…。何しろ、私より2歳年上の戦車長殿でさえも知りませんでしたからねぇ。数年前、アキバのリバティーでそのエンディングテーマが流れてきた時に、この日テレ版の話をした時に「知らねぇ」と言われてしまいましたし。

 

 私が物心が付いて初めて読んだ漫画が『ドラえもん』だったのですが(ちなみに、2番目が『マカロニほうれん荘(!!)』でした…)、その頃、仙台(当時はまだ泉市でした)の向かいのお兄ちゃんの家で、1回だけそのアニメを観た事があったのです。仙台でも本放送はキー局と同じゴールデンタイムだったので、私が観たのは再放送だったのでしょう。ストーリーはさすがに憶えていませんが、その「ヒャア~♪」で始まる民謡調のオープニングテーマだけは、断片的ながら、幼い私の記憶のハードディスクに、しっかりと刻み込まれたのでした。ちなみに、何故民謡調なのかというと、おそらく、昔の男性の名前っぽい「ドラえもん(右衛門)」というネーミングからの連想だったのでしょう。

 その後、『ガンダム』と同じ年の1979年に、テレ朝でシンエイ動画によって新規に制作された、現在にまで至るアニメが始まったのですが、私が友人に「これの前にもTVでドラえもんやってたよね?」と訊くと、異口同音に「知らねぇよ、そんなの」と返されるのが常でした…。当時は、いくら調べてもその日テレ版についての情報は無かったので、ひょっとして、自分はこのテレ朝版が制作される前に『ドラえもん』のアニメが放送されていたパラレルワールドからこの世界にやってきた人間なんじゃないか、と疑った事がありましたよ(私はしょっちゅうこんな目に遭います…)。

 

 そして刻は流れて1994年。上京して、中野のまんだらけ本館に足を運んだ時の事。突如として、この日テレ版『ドラえもん』のOPテーマが流れてきたのでした。約20年振りに、記憶が一気に蘇ってきました。やっぱり、あれは幻なんかじゃ無かったのです

 その後、ネット上でこの日テレ版について語られるようになってきたり、安藤健二著『封印作品の憂鬱』においてこの日テレ版が封印に至った経緯についての話が書かれたりして、徐々にその全貌が明らかになってきたのでした。ドラえもんの声がバカボンのパパで知られる富田耕生氏(後に野沢雅子氏に交代)だったり、テレ朝版でのび太を演じていた小原乃梨子氏が日テレ版ではそのママを演じていたり、テレ朝版でスネ夫を演じていた肝付兼太氏が日テレ版ではジャイアンを演じていたりと、今となっては意外なキャスティングだった事にも、今更ながら驚かされました。ちなみに、私にとってはドラえもんの声といえば、いまだに大山のぶ代氏です…。

 

 

 本書によれば、この日テレ版の制作会社であった日本テレビ動画は、放送終了直前になって代表者が突如失踪してしまい(後日、拳銃密輸容疑で逮捕されてしまいました…)、その経営を引き継いだ会長がアニメに興味が無い人物で、「もう止めよう」との鶴の一声でこの日本テレビ動画は解散に至り、そのアニメの資料は、荒川の河川敷で焼却処分されたとの事です…。

 生前の藤子F先生は、この日テレ版に対して「原作とはイメージを異にする物だったので激怒して再放送を中止させた」と言われていますが、その一方で、「制作スタッフに対しては好意的だった」とも伝えられており、先生が亡くなって四半世紀が経った現在となっては、その真意を確かめる事は不可能となってしまいました…

 

 そんなワケで、現在ではすっかり「無かった事」扱いとなってしまっているこの日テレ版『ドラえもん』ですが、連載開始から半世紀が経った今を機に、もうそろそろ解禁しても良いのではないでしょうか