こんにちは。
奈良市の社労士 行政書士の村林です。
ぽかぽかと日差しだけは暖かいです。
本日の戸籍
弘化元年生まれの方が出てきました。
弘化っていつだったかな?と思ってみると、
あの有名なペリーさんが来るより前のことでした。
ちょっと、書いておくと元号は
天保ー弘化ー嘉永ー安政ー万延ー文久ー元治ー慶応ー明治
の順番です。
今日出てきた弘化元年っていうのは、水野忠邦の政治の頃でした![]()
むちゃくち長生き、化石級![]()
と思いきや、じつは弘化から慶応までは案外ちょっとずつしかなくて、
1年で終わるものもいくつかあったりなので、
明治の時代には弘化生まれの方がざらにいたんだろうと思います。
さっそくお昼におうちに帰ったときに子供にペリーや水野忠邦のはなしをしたら
「ペリーは知ってるけど水野忠邦は知らん
田沼意次は知ってる」 っていわれました。
「もっと勉強せい
」 です。
今日の戸籍はちょっと面白くて、お父さんがなくなったあとまだまだ小さい子が家督相続をしたんだけど、
そのあと戸籍編成によって
お母さんが筆頭者に代わっているものでした。
まだまだ小さい子の戸籍にお母さんが入るっていうのが片時でも見れてレアケースの一つに加えておこうかなと思います。
そして今回もまたマリアナ諸島沖で戦死された旨の記載に出会いました。
マリアナ諸島沖での戦死の記載は戸籍を収集している過程で幾度も出会う
頻出事項です。
今コロナで、お亡くなりになった方の最後に立ち会えないっていうの問題になっていましたが
戦死はもっと無残です。(だからコロナ我慢しろっていうんじゃありませんよ)
日本で待っている家族は家族が戦死したことを知るのさえ
ずっと後になってからなのです。
その数年のブランクが今回も戸籍にははっきりと刻まれていました。
戸籍は何でも教えてくれます。
短い数行の行間が、あふれんばかりの家族の歴史を、声なき声として確実に伝えてくれるのです。