Emily
Bethany
ぐらいが、ここ半年おしゃべりした外国の方。
ふろむ USA。
言葉が通じると、国は違っても、皆同じなんだなぁ、と思えます。
国VS国でなく、個人VS個人。
最近白人の人、というだけで、アラブ方面出身の人やラテン系の人、韓国、台湾、ドイツ、ポーランド人、
わかる程度にコミュニケーションとったことあります。皆、気持ちがあり、意思があり、同じです。
考え方とか繊細さ、とかは、ともかくも、色素の違いで、生活習慣違うのか、ということはありました、、、、光に対して。夜、本を読むときは、もう天井の蛍光灯はつけないです、サイドランプだけ。。。。念押しのように、同居したポーランド?人に言われました。生活習慣はもちろん国によって違いますね。
同じなんだなぁと思った最近の話:
ハウステンボスでのショーはウクライナ(ユークレイン)出身の人達によるサルサちっくなもので。。。。ダンスにしても、ステップは万国共通なんだなぁ、、、と再認識。(世界選手権をmariotte centerで見たのも忘れてる。)
学生最後の年、エントリーに挑戦して、めでたく競技ダンス部(ballroom dance team)のバックアップチームに所属。バックアップツアーとかもうちょっと上のチームに入っていれば、あんな風に踊っていただろうなぁ、と懐かしくて仕方がなかった(≧▽≦)ハッピーなひと時。(このブログを書き始めた日が反映されちゃう、今日は8月23日土曜日)
万国共通。
オリンピックのようにルールにのっとり、正々堂々と。
国同士の争いも無くなればいいのに~。
宗教もからむのか、何がからむのか、深すぎて、わかりません。。。。。
学生ベサニーの母様は体が不自由なのだとか、働く場所も選ぶほかない、、、、こと、同居していない父様に会う時のディナーが毎回楽しみなこと、など、、、。ただただ日本が好きで、短期間の勉強プログラムに参加している、とか。
エミリーに、友達の子供の、体の不調を相談をすると、、、、
私がその子に既にしてあげた事と全く同じ事をアドバイスしてきました。「こうするといいよ」と。
一瞬眼が大きくなった感じ、「えっ」と。
自然に従えば、どこの国であろうが、おのずと同じ解決法が出てくる、同じ治療法が出てくる、、、。
彼女はお医者さんではないです、自然療法を研究している人と言っていいかもしれません。Doctor格の方と常に交流しながら。
エミリーも言ってたことには、手の施しようがない、だからといって薬を使いたくない、、、なら
信じるものを選ぶしかない、、、、というようなこと。
アメリカって病院にかかること自体、そんなに日本のように、3割負担、では済まないような所に思っているのは、、、私の勘違い?!また向こうにいる友達に確認してみよー。時間あれば。
だから?市販の薬やサプリに走っているのを見かけるけど、医者に行くのって、、、、歯医者位?の学生時代でした。「Do you feel numb?」おかげさまで、四本親不知をぬきました!カパっとマスクを口に当てられ一瞬にして睡眠へ。なんだったんでしょう、あれは、、、、。アゴの神経にかかるほど、きわどい所に埋まっているよ、と驚かされたのは覚えてます。腕のいい口腔外科さんで良かった。。。。
アメリカって広大。学生が自分達の州へ帰る時、多分お金持ちなら飛行機だったかもしれませんが、、、、、学校のブリテンボードを活用している光景もありました、当時。そこに、どこどこへ帰るのに、乗合して帰らないか、という募集がかかるんです。
私は友達の家に泊まるのに、なぜか友達と帰る日が合わず(最終試験日のせい?)、友達の知り合いの車に乗って向かうんです。霧で先が見えない道を進むしかなく、ビビりながら運転した記憶があります、、、がなんて無謀。。。。落ちたら誰も助けに来てくれないような、、、、両脇はまったくの乾燥地帯。。。。、、、、思い返せば今恐い。
ここが万国共通じゃない。
歴史の先生に言われました。所詮日本人に(アメリカ人でない者に?)アメリカの歴史が理解できるわけない!と。ビービー泣いて、友達にドライブに連れて行ってもらいました!!!黄色人種とは、と考えさせられました。その息子はなんとなく日本人のことを理解しようという気があってか、父である教授のところに私を連れて行ってくれたのだったのか、、、、どうやって教授室に辿りついたかは覚えていませんが。なんといっても、記述式のテストで、ある事件ごとの内容を書いていかなくちゃ、いけないようなテストだったので、ボロボローだったんです。
初のDじゃなかろうか。ただの一般教養の範囲、100番台のクラスだったのに、、、、。専門は500番台とか、コース番号が上がるんです。ということで、オールAではない自分は、大学院には行けず、大学院コースの一部を受講した後、卒業を迎えました。外人向けの英語学校でも、研修の一環として、教壇に立ちました。(えらそうに)
院でなく大学では、国際政治経済みたいなのを専攻してました。
自然に従う、ということに関しては万国共通。
それ以外は、難しい問題もあるということ。