スポニチ連載  舟木さんの 「我が道」 (2) | 満天の星Lovelyのブログ

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60周年をあれほどに輝かせながら61周年へと繋げていかれた舟木さん、本当にお見事でした!
2023年もこれからもずっと、素晴らしい夢時間を頂けますように・・・。

                                          スポニチ連載  舟木さんの 「我が道」(2)

               2007.10.2 (月)~10.4(水)

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     舟木さんの連載は、ファンなら皆さんがご存知のことに加えて、初めて伺う
   お話や写真の掲載も散りばめてあり、順調に滑り出しているようである。

   10月1日(日) 、第一回目の見出しは 『 生涯青春 いつまでもラブソングを 』。

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    10月2日(月)
        『 人生変えた一本のハーモニカ 』
      
    10月3日(火)
    『 弟のため・・・ボクが歌で稼ぐ!!』
 
    10月4日(水)
         『 三代続けてカタギじゃない 』
 
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         『 人生変えた一本のハーモニカ 』                                                         イメージ 4
    そもそも、舟木さんが音楽と出合ったのは、
    おばあちゃんのおかげ。

イメージ 5    小学4年のとき、肩叩きをすれば
    褒美にハーモニカを買ってやると
    言われ、毎晩200回1ヶ月間やり
               続けて、買って貰った。

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   音楽に興味を持ち始めた小学
   生の頃、ラジオから聴こえてき
   た三橋美智也さんの歌声に衝
   撃を受けた

       ・・・ 「おんな船頭歌」
           「哀愁列車」

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   米国のハリー・ベラフォンテも衝撃
   だった
   ・・・カーネギーホールでのライブ盤
     収録の「マティルダ」を、やはり
     ラジオで聞いた。

   舟木さんが歌い手という職業を意識
   し始めたのは、この二人との”出会い”
   から。

   カーネギーでは、 ♪ 聖者の行進 
    ♪ バナナ・ボート ♪ ダニー・ボーイ
    ♪ ク・ク・ル・ク・ク・パロマ  なども歌われているが、 
     中学生の成幸少年を捉えたのは、会場が大コーラスになっていく最終曲の♪ マティルダ
          だった。

    この「マチルダ」を聞いたとき、会場の盛り上がり、観客が一体化したコーラスの興奮と感動
    が電流のように僕の背筋を熱く駆け抜けた。  当時、 我が家にプレーヤーなどなかったが、
         ともかく、 このLPが欲しかった。 ライブ盤ということで、通常のLPよりも高かった。シングル
         盤が三百五十円、LPは千七百円だったが、「マチルダ」の入っているハリー・ベラフォンテの
         LPは千九百円した。
                                          (「怪傑!!高校生」P25より)

       どうしてもハリー・ベラフォンテのLPが欲しい成幸少年は、夏休みに一宮本町通りの 「大口屋
   デパート」で、配達のアルバイトをした。 自転車での配達を1ヶ月やって、ようやくそのLPを手
   に入れた。 ハリー・ベラフォンテのカーネギーホール・ライブ盤。 これが、成幸少年が買った
   最初のレコード。  ~衝撃的な音楽との出会い~ となったのは、ラジオから流れる三橋美智
   也さんの歌声と、ハリー・ベラフォンテのライブであった。

                ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

     8月30日、一宮コンサートの翌日、どうしてもその「大口屋デパート」とレコードを購入した「中川
   レコード店」を確かめたくて、本町通りを歩いてみた。

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← 真清田神社に向って

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            真清田神社を背にして→

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       「大口屋デパート」は、現在では「ダイソー」となり、裏手に回って「大口屋」の表示が見つ
    けられた。

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イメージ 16   中学生の成幸少年が、1ヶ月間アル
  バイトをして、ハリー・ベラフォンテの
  ニューヨーク・カーネギーホール・ラ
  イブ盤(1959年)を1900円でやっ
  と手に入れた。

  「大口屋」さん、 成幸少年をアルバ
     イトさせて下さって、有り難う、
    「中川レコード店」さん、輸入盤LPを
  品揃えして下さって、有り難う、と御
  礼を言いたい気持ち。

  おばあちゃんの買ってくれたハーモ
  ニカとともに、舟木さんの音楽の道へ
  の入り口になったのだから、、。

 
              ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
    その後、成幸少年は、「歌の勉強がしたいから」 とお父さんにお願いして、
    山田昌弘先生のレッスンを受けられるようになった。 名古屋NHK放送局
    でコーラスグループの常任指揮者であった山田先生から、クラシックの基
    礎や声楽など、先生の教室に通いやすい名古屋の高校に進学し、本格的
    にレッスンを開始していった。
    13歳年下の弟のことも考え、プロの歌い手になって早く家にお金を入れよ
    う・・・こうして、可愛い弟の存在と舟木さんの音楽へ向う強い意志とが重な
    って、やがて道を開いていく過程が綴られていく。
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    「高校卒業後はプロの歌手になりたい」と打ち明けて、興行師
    として芸能の世界の厳しさを知っているお父さんに反対される
    と、” 事実を作って説得しよう ” と行動を起こす。       イメージ 19
    学校を休んで地元テレビ局の「歌のチャン
    ピオン」に出場し、松島アキラさんの「湖愁」
    で見事チャンピオンになる。


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    そして、その1ヶ月後の名古屋のジャズ
    喫茶で、大きな出会いとチャンスが待っ
    ていた。  

  学校をサボったことは決して誉められるものではないけれ
    ど、目標を見つけた時は、なりふり構わず動いてみること
   も大切かも知れません。 ボクの場合は、挑戦したことが
   人生の転機になりました。
     
          と仰っている舟木さん。 55年のキャリアが持つ実感と説得力といえる。 
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イメージ 21    でも、お父さんの戦友に預けられて
     いたときの ”一人納屋暮らしの醤油
     めし” や、実母の家で暮らした”すき
     焼き事件”の話は、いつ目にしても胸
     が痛い。ステージの舟木さんは、いつ
     も楽しいお話をして下さるけれど。