『 歌謡曲が聴こえる 』 | 満天の星Lovelyのブログ

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60周年をあれほどに輝かせながら61周年へと繋げていかれた舟木さん、本当にお見事でした!
2023年もこれからもずっと、素晴らしい夢時間を頂けますように・・・。

                                               『 歌謡曲が聴こえる 』
                      あの歌が僕の記憶を甦らせる。
                       極私的ヒット曲の戦後史

                           ~ 「 ソーラン渡り鳥 」 を中心に~
 
 
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      片岡義男著  新潮新書
      2014.11 発行
 
 
       1939(昭和14)年 生まれ
      小説家、エッセイスト、写真家、
      翻訳家、 評論家          
 
     
 
   新仲見世通り  アーケードギャラリー  昭和歌謡史
 
       <あの夏の終わり、竹芝桟橋でふと聴いた女性の歌声。 その曲は僕の内部にとどまった。
        よくできた歌謡曲が持っている(とげ)の一本が、僕に初めてき刺さった、、、>
                                                   (表紙カバァー裏より)
 
     「スローなブギにしてくれ」の著作がある片岡義男氏が、歌謡曲について書かれた本を出された。その
     書評を新聞で目にし、上記のように記された曲が「ソーラン渡り鳥」であるとわかった時、何をおいても
     この本を読んでみようと思った。  舟木さんが昨年シアターコンサートで歌って下さった 「 ソーラン渡り
     鳥 」 が、どうしてあんなに胸を打つのだろう、と自分でも思いがけないことだっただけに、もしかしたら
     何かヒントがあるかも知れないと。
 
 
          片岡氏については辛うじて著作のタイトルを知っていただけで、恐らくロック系の音楽がお好きな作家
     なのだろう、自分には縁がないものと決め付けていた。 それなのに歌謡曲ですって? しかも随分と
     歌謡曲に郷愁を感じている書きっぷりではないか。 それだけでも読んでみたいと思わせるに充分だっ
     た。
 
        
     片岡氏の祖父は山口県からハワイに移民したため、片岡氏の父は日系二世、片岡氏自身も少年期、
     ハワイに在住し教育を受けた経験があるということだ。 戦時中岩国に疎開したが、ラジオからは常に
          歌謡曲が放送されていた。  戦後、呉に移り10歳のとき東京に戻ってからも、 一日中ラジオがオンに
          なっていた生活環境でもあったため、 氏はあらゆるジャンルの曲を耳にして成長したといえるのだろう。
     氏が物心ついたときには、日本は連合国によって占領されており、1951~2年は生活実感として  ”
     オキュパイド・ジャパン ” のまっただなかであったようだ。身辺から少しづつ ”オキュパイド・ジャパン”
     が消えて薄くなっていく過程がその後の10年、1962年ということであるらしい(完全に消えたと自覚
     できるのは、1960年代後半であるとか)。
 

     その1962年夏、大学4年になっていた氏は友人と一緒にひと夏を千葉県館山で過ごし、帰りのフェ
     リーが竹芝桟橋に着いたとき、こまどり姉妹の「ソーラン渡り鳥」と遭遇したのであった。
     木材で組み上げた、素っ気ないがかなりの高さと大きさの特設ステージの上で、こまどり姉妹が歌って
     いた。 
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     金銀珊瑚綾錦(あやにしき)という言葉をそのまま形
     にしたような着物をふたりは着ていた。
           強い風を受けて裾はまくれ上がり、袂は水平に
           なびきはためいた。 髪を乱す風をよけながら歌う
     彼女たちは良く似たふたりであり、 そのふたりが
           同じ強風を同時に受けとめていた。マイクロフォン
           で拾われスピーカーから放たれる彼女たちの歌声
           は、風にちぎれていろんな方向へと飛んでいった。
           電気的に増幅された歌声が、歌う端から次々に風
           にちぎれては飛んでいくのを見るのは、僕にとって初めての体験だった。
     ~~~~
     美しい着物をまとって強風の中で歌うおなじようなふたりは、この世ならざる美しさをたた
           えた異星からの来訪者のように見えた。  ~~~彼女たちが歌ったこの歌の、なんとも言
           いがたい不思議な奇妙さを、僕は受け止めた。  ~~一つの歌謡曲が僕の内部に入り込
           んで底にとどまることになった、これはその記念すべき最初の体験だった。
     ~~~~~
     良く出来た歌謡曲という不思議なものが、 いくつも持っているはずの奇妙な刺(とげ)
           うち一本が、僕に初めて突き刺さった、という比喩で語っておこう。  このとき埠頭で聴
           いたこまどり姉妹のこの歌だけに反応したのではなく、よくできた歌謡曲というものぜんた
           いに対して、僕のなかの何かが、このとき初めて、強い反応を示した。
                                                                                                     (P20~21)

     
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      とはいうものの、著者は友人と別れたその足で
      下北沢南口商店街のレコード店に入り、竹芝桟
      橋で覚えたばかりの3番の歌詞の冒頭と、「ヤー
      レン ソーレン ソーラン ソーラン」 の部分を付
      け加えて店主に歌って聴かせた。 ぎっしり詰まっ
      た7インチ盤の中から店主が選んで手渡してくれ
      たレコードジャケットを見て初めて、「ソーラン渡り
      鳥」という題名を知った。

              それ以後、「全音歌謡曲全集」を元に、著者の気
       持ちを捉えた曲を探してレコードを入手していく
       歌の旅が始まっていった。



 
         よく出来た歌謡曲がいくつも持っている刺(とげ)、そのうち片岡氏に突き刺さったのは
                 どのような(とげ)であったのか、、、。
         これについては、<自分と日本との関係のなかにあらわれた、最初の顕著な変化だった
        に違いない>、という仮説を立て、 片岡氏も自分の中の仮説として以下のようにべて
        おられる。                                                     イメージ 5
        


         オキュパイド・ジャパンと同時にさまざまに接触
         しては体験した、本来の日本というものの僕の
         内部における蓄積が、 ある程度以上にまで到
                    達していたのが、1962年ではなかったか。
          その蓄積と、偶然にに遭遇したこまどり姉妹とが、
                    たとえるならプラスとマイナスの電極が触れ合っ
                    てショートするのとおなじように、比喩としての火
                    花を僕の内部に散らしたのだ。                                
                                                                          (P120)

    
 
                    かつて歌謡曲が日本中の人びとの哀歓を共有し、人々の暮らしの喜びと悲しみに寄り添
                     っていた時代があった。  日々を生きるとは、”苦労”をすることであり、報われれば喜びであ
          ったが、大抵は夢破れ、憧れは儚く消え、望郷や郷愁を友として、自分の心情が託された歌
          援歌にし奮い立っていった。 歌謡曲・流行歌は、応援歌でもあった。

         よくできた歌謡曲にある奇妙な刺とは、そんな人びとを捉えていた明るく眩しく光り輝く夢、憧れ、
         願望、破れたときの失望、望郷、哀愁などの、複雑な心情ではなかっただろうか。 
                    ”明”の底の翳り、”暗”であっても差し込む一筋の希望。 心情の表裏を掬い取る装置。そして、
         人びとの心の襞々のどこかに引っ掛かっている心情が、プロの作家が作り出した情緒ある歌詞
         とメロディで思い出や懐かしさ、といったものにかぐわしい変身を遂げていく。

         片岡氏はすぐさま手に入れた「ソーラン渡り鳥」のレコードを、その夜何度も聴きながらこんな風
                    にも思っていた。 まさしくこの曲は可憐な娘デュオが歌う歌謡曲でありながら、人びとへの応
                    歌でもあった、ということではないだろうか。
  

         歌う彼女たちの声と歌い方が、じつは存分に大人びていることを、僕は発見した。 この世で
         何があろうとへっちゃら、という印象を僕はその歌声に対して持った。
                                                               (P21)

                           『ソーラン渡り鳥』
                            作詞: 石本美由起
                            作曲: 遠藤 実 
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          津軽の海を 越えてきた
          塒持たない みなしごつばめ
          江刺恋しや 鰊場恋し                           イメージ 7            三味を弾く手に 想いをこめて
          ヤーレン ソーラン ソーランソーラン
                              唄う ソーラン ああ渡り鳥


                 故郷の港 偲んでも
                 夢も届かぬ 北国の空
                 愛嬌笑くぼに 苦労を隠し                                   イメージ 8
                 越えた此の世の 山川幾つ
                 ヤーレン ソーラン ソーランソーラン
          
         
                   旅の ソーラン ああ渡り鳥

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                      瞼の裏に 咲いている
          幼馴染の はまなすの花
          辛いことには 泣かないけれど
          人の情けが欲しくて泣ける
          ヤーレン ソーラン ソーランソーラン
          娘 ソーラン ああ渡り鳥
          
 
 
 
                                                               
    
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      2008年12月に亡くなられた遠藤実先生の曲を
      ”決して散らない花々” として、舟木さんが歌わ
      れたのは、2009年6月のふれんどコンサートNO.
      65においてのこと。

      その頃はまだ、舟木さんのことは残念ながら全く
      生活のなかに入っていなかったため、その後に、
      密着写真集「瞬」の記事と写真で想像するしかな
            かった。

      といっても、どんなに素晴らしいコンサートであった
      かは本当のところは想像もつかず、居合わせた方
      たちを羨ましく思い、自分の復活の遅すぎたことを
      悔やむばかりであった。

      ほぼ同じ構成で、” 七回忌に偲ぶ ” として2014年、
             2月京都南座で行われた 「 遠藤実スペシャル・決し
      て散らない花々」 の素晴らしかったこと!5月31日
                                 の新橋演舞場に撮影用カメラが入っているのを知っ
                                 たときの嬉しかったこと!!


      舟木さんは、シアター・コンサート「 遠藤実スペシャル・決して散らない花々」 において、興業を
      成り立たせるという私たちには測り知れない重責を担って大劇場での公演に臨まれた。後援会
      コンサートで手応えは掴んであったとしても、一般のお客様を対象とした大劇場のシアター・コン
      サートで成功するかどうかはイコールではない。  蓋を 開ければ南座、演舞場共に大変な成功
             であったことの舟木さんの喜びと安堵感を、後援会機関紙の「浮舟」で拝見して本当に嬉しく思
             ったものである。 日本の名曲を歌い継いで行こうとされている舟木さんの、今年のステージは
             如何に、また、アルバムの企画は如何に、、残り時間が限られているからと、70歳でますます
      突き進もうとされている舟木さんにせめても寄り添うような形で、今年も精一杯応援に出掛けた
      いものである。 まずは2月の新歌舞伎座から。


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      ところで、声と歌い方のなかに、可憐なこまどり姉妹
      が充分に大人びていたことを発見していた片岡氏。 
      新旧の歌謡曲を探っていく中で、1963(昭和38)年
      の舟木さんの「高校三年生」は、すでに社会人になっ
      ていた氏の心を捉えることはなかったらしく、レコード
      は購入されなかった。

      しかし、1965(昭和40)年の「 東京百年 」は、詞も
             曲も氏の琴線に触れたようで、黒沢明とロス・プリモ
             スの 「ラブユー東京 」 と舟木さんの 「東京百年 」 の
      レコードを手に入れ、二通りの東京ものの歌謡曲を
      何度も聴き比べて楽しんでいたとの事であった。
      

                          
            ムード歌謡を代表するグループの曲と、青春歌謡で          「東京百年」 昭和40年
             人気絶頂の舟木さんの ” 東京もの ” を聴き比べて            作詞: 丘 灯至夫
      若者が楽しんでいたなんて、何だかとっても微笑まし           作曲: 船村 徹
      い思いがする。  それに、さすが丘先生と船村先生
      の作品だけのことはある、 という気も。                                                   
                                                                                              
                                                                           
      この新書は、                                                                                  
     
        こまどり姉妹、並木路子、フランク永井、ナンシー梅木、田端義夫、美空ひばり、、、思い出
        の歌手とあのヒット曲、そして、終戦から高度成長期への日本の姿。 心に刻まれてきた歌
        謡曲をいま再び聴きこみ、名手が透明感あふれる文体で「戦後の横顔」を浮かび上がらせる。
                                                    (表紙カバァー裏より)
 
      内容である。 舟木さんファンの大部分を占める私たち団塊の世代より少し先に生まれた方の
      一つの昭和歌謡史として、また歌謡曲、流行歌とは一体どんなものだったのかを考える上で、
      大いに参考になる書籍だと思った。