帯広一人旅前日。
予定を立てていると度々、「帰ってきたら休みどころか疲れるんじゃないか」「このお金はもっと有意義なことに使うべきでは」「道中事故に遭うかも」などのブルーな気持ちが襲ってくるのですが、それらを乗り越えて無事明日旅立ちの時であります。
とはいえ一泊二日なので大袈裟なのですが。
こちら現在使用しているリュックで、今回の旅も連れて行きます。が、
一部はメンバーチェンジで。
旅行ならではのドリームチームで挑みます。
今日は早番だったので、本来ならば欲望のまま眠りにつくところですが、明日は行きのバス移動が3~4時間程。車内で睡眠を取りバス酔いを避ける作戦の為、まだ眠る事は出来ません。
私の作戦が勝つか、寝不足で逆に酔うのか。幸先の良いスタートを切りたいですね。
もう少し起きてなければいけないので、最近考えることの多い、「優しさ」について自論を展開しようと思います。
優しさの頂点は何の下心もなく、疑うことなく、相手のことを純粋に想い考え、その気持ちに寄り添って動き、相手が求める要求に正確に応じられることだと思っていました。
例えるならば、悲しくて愚痴を聞いて欲しいだけの人がいたとして、何を言われなくとも気付き自ら声をかけ、アドバイスではなく聞き手を求めていると察し、全て肯定すること。その人に好かれたい、嫌われたくないから、以前助けて貰ったお返し、などの意図を抱くこともなく、純粋に相手を救いたいという一心で動けること。
ただそんな人は神話以外に存在しないでしょう。出会った人にはそれに近い人が何人かおりましたが、深く話していく内にやはり負な感情や、その行為に対する想いがありました。当然です。人間ですから何かしらの意図はありますし、本人ですら自分の気持ちなんてわからないことだらけなのに、相手のことを100%理解して動けるわけがありません。
てっぺんからつま先まで善意がつまっている人を私は優しい人だと思っていたので、優しくなるのは先天性のものだと勝手に決めつけていました。そして、その先天性の優しさは、年を重ねるにつれて消えていくとも思っていました。知識や経験を得れば得るほど考えることが増えていき、こうしたらこういうことになるだろうと経験上で嫌でも予測してしまうからです。
大人が汚いとよく言われるのも、このことからではないかと考えています。
ただ、社会人になって仕事を始めてから、もし自分の中で醜く汚れた感情があったとしても、それを表に出してはいけないと理解し、その場の空気を壊さずに取り繕う事も優しさなのだと知りました。どんなにイライラしていても、相手も人間なのだからと作り笑いを浮かべる事も優しさですし、ほとんど感情のこもっていない「ありがとう」でも、その一言を伝えるということは相手がいて生まれる言葉ですから、少しでも相手のことを考えている。それもまた優しさなのだろうと。
自分に対しても、相手に対しても、周りに対しても、意外と優しい人は多いんだなと気付かされました。
純粋か偽善かで判断しようと思う事がそもそもの間違いで、優しさに種類はなく、どんなに小さい事でも大きい事でも全部ひっくるめて「優しさ」ということなんですね。その人が相手のことを思って行ったことは、どんなことでも優しさになります。
そうして優しさの間口を広げてあげれば、自分なんてと後ろ向きになっている人も、自分にも優しいところはあるんだと自己肯定することが出来ます。
だから、本当は嫌なのに良い顔をしてしまっただとか、へこへこしてしまうだとか、自己嫌悪に陥ることは無いと思います。自分は優しいんだなと褒めてあげてください。自分に優しくすることも、優しさです。
ここで密かに、あまり知られていない私の特技を発表いたします。
中身のない薄っぺらなことでも、長文に膨らませて記述出来る事です。
この特技のおかげで、私の卒論は「二万字かけたあらすじ」という評価を頂きました。
文章を書くという事は、意外とストレス発散になりますね。
百万円あったら何に使おうかなあ。