小説:マンション屋さん 8
週末になり、小旗は、保育園の情報を詳細に準備をして待っていた。
「小旗さん、長谷川様がいらっしゃいました。」
受付嬢から連絡をもらい、より一層緊張感が高まる。
通常であれば、課長がヘルプにつくのだが、
不幸かな、この日も多くのお客様で誰も小旗につく人間はいなかった・・・。
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「お待たせしました。あれからお気持ちはいかがですか?」
「うーーん、正直、妻が仕事を始めると今回の保育園は遠いんですよ。」
「でも、長谷川さんは物件は気に入ってるわけですよね。」
「もちろん、そうですけど、こればっかりは・・・・。」
交渉をしても、今ひとつ核心にふれているようではなく、相手もはっきりと断るというわけではない。
小旗は、焦りつつも、長谷川がやはり、本当は欲しいという気持ちが高いのではないかと思い始めた。
「長谷川さん、とにかく、一緒に保育園まで行きましょう。」
「え?」
長谷川は虚をつかれたようであった。
「ここで、話をしてもしょうがないじゃないですか?本当に奥様の通勤に問題あるのか、歩きましょう。」
小旗は自分でも、不思議なくらいに自然に言葉が出ていた。
晴天の中、桜並木を歩きながら、小旗はとにかく喋った。
沈黙が続けば、それだけ歩く距離や時間を考えてしまう。
もう、なりふり構っていられなかった。
自分の入社の事や、家のこと。
長谷川の勤務先のこと
子供のこと
決して、会話が上手く進んでいるとは思わなかったが、時間のことは忘れていたと思う。
30分ぐらいして、モデルルームに戻り、席に着かせた。
緊張の中、小旗は椅子に座り、長谷川を見ると
じっと下を見ている。
1、2分したであろうか。
「うんうん」と長谷川がうなずくと
「わかりました。小旗さん、がんばれそうです。お願いします。」
頭が真っ白になった。
小旗は、自然と頭が下がっていた。
「ありがとうございます。一生懸命がんばります。」
「小旗さんが、ここまでやってくれるなら、自分もがんばれそうです」
その後、契約までは問題なく終わり、記念すべき契約第1号を小旗は取れた。
会社の営業部には
ふんどし
と呼ばれる、天井から赤字で
祝 契約第1号 小幡
と書かれた紙が下げられた。
小旗は、身体に重くのしかっていた重りがとれたような感覚だった。
苦労した分の喜びは大きいというが、小旗の中での営業力が高まったのはいうまでもない。
明日からの営業に対して大きな一歩となった。