沈む日本とカオス化する世界
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とても良かったのであまり日を置かずに2回目。
偉大な師から武道の哲学と技術を「贈られた」からである。
「贈られた」ものは退蔵してはならない。
私は師の師のそのまた師から続く長い贈与と
反対給付の流れの中の一つの環になることができたからである。
ここ、額に入れて飾り何度も復唱しないといけない。
私自身は武道や能楽など、いくつかの芸事を学んできた。
学び始めて合氣道は 50年に及ぶ。
合氣道を学び始めた時点で、
私は自分がこれから何を学ぶことになるのか何もわかっていなかった。
自分がそれからあと会得することになる技術を
呼ぶ名詞を知らなかったし、
その後に操作できるようになる身体部位を感知したこともなかった。
「氣海丹田に氣を集める」ことも「胸を落とす」ことも
「手の内を替える」ことも、
ある日そういうことができるようになっている自分を発見するのである。
「そういうこと」ができるようになりたいという「欠如」が先行して、
それを「補充」したのではない。
この世にそのような身体部位があることも知らず、
それを操作する技術があることも知らないにもかかわらず、
稽古を積んでいるうちに、ある日できるようになっているのである。
もちろん稽古にはきちんとした教育体系がある。
それは「先達についてゆく」ということである。
ただし、どこに行くのか、どういう経路をたどるのか、
いつ何が身につくのか、事前には何も情報が与えられない。
ただ「先達」の背中を見ながら歩き続けるだけである。
自分が踏破すべき行程のどこにいるのか、
目的地に到達するまでにどれだけの歳月を要するのか、
何もわからない。
自分が修行していることの意味を叙する語彙も、
その価値を考量するものさしも自分にはない。
そこから「学び」は始まる。
でも、それが武道や宗教や芸能における「修行」なのである。
ここも実に面白い。
グロービス経営大学院やグロービスマネジメントスクールには
アジェンダもラーニングポイントも予め「設計」されている。
「ToBe」を事前にハッキリ示している(受講者が
その意味や価値を理解されているか?は別問題だが)。
日本の芸事や修行、修練との最大の違いはここか。
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