哲学的な何か、あと科学とか/飲茶 25017 | 年間365冊×今年22年目 武道場主 兼 投資会社・コンサル会社   オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

哲学的な何か、あと科学とか/飲茶 25017

 

★★★★★

飲茶さんのこの本ははじめて。

語り口は相変わらず軽妙なのだが、なかなか手ごわい。

 

 論理的とはいったいどういうことだろう?

 たとえば、「A = B, B = Cならば、 A = C」というのは

 論理的な思考の結果だ。

 だが、そもそも「A = B」、つまり「 Aは Bである」というのは

 いったいどういうことだろう?

 何をもって、「Aと Bが同じ」だとみなしているのだろう?

 

 そもそも、世の中に完全に同じものなんてあるのだろうか?

 いや、仮に百歩譲って「 Aと Bがまったく同じだった」としよう。

 そうすると、「A = B」とは、「A」を「B」という別の言葉で

 言い換えているだけであり、

 本質的には「A = A」ということにすぎなくなる

 (だって、 Aと Bはまったく同じなのだから)。

 そうであれば、結局のところ、

 「A = B, B = Cならば、 A = C」というのは、

 「A = A = A。 Aは、 Aであり、 Aである」と言っていることになり、

 何も意味を成さない。

 つまり、「A = B」や「 Aは Bである」という言葉が意味を成すのは、

 あくまで「Aと Bが違う」ときだけである

 (だって、もし、どこにも違いはなく、まったく同じものの

  言い換えにすぎないのだとしたら、

  「 Aは Aである」と言っているのとまったく変わらないことになる。

  それは無意味な宣言だ)。

 そうなのだ。ボクらが論理的思考の名のもとに、

 「Aは Bである、だから……」と宣言するとき、

 それは、あくまでも「 Aは Bではない」ということが

 前提として成り立っている言葉なのである。

 結局のところ、「Aと Bは、厳密には違うものだけど、

 この際、同じだと決めつけちゃおう」ということであり、

 この飛躍した決めつけによって、

 初めて「意味」が生じているのである。

 ボクらが「 Aは Bである、だから……」というとき、

 そこには確実に「飛躍」と「矛盾」があるのだ。

 それが論理的思考の正体である。

 

なるほど。。。そう言われてみればその通りだ。

一応(笑)経営大学院にて経営戦略などの文脈内で

論理的思考を累計ウン千人という他人様に教えているが、

こんな切り返しをされたらなんと応えよう(苦笑)。

 

他人様に教えるくせして論理的思考の

どことない胡散臭さを実は少し感じていたが、

その原因がこのあたりにあったのかもしれない。

 

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