歎異抄 救いのことば/釈徹宗 22191 | 年間365冊×今年22年目 武道場主 兼 投資会社・コンサル会社   オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

歎異抄 救いのことば/釈徹宗 22191

 

★★★★☆

それなりの歳になり、親鸞や歎異抄の良さが少し分かってきたかな?

と感じていたがまったくのカン違いであることに氣が付かされる一冊。

なんも分かっちゃいない。

 

 世間の通念とは真逆の価値観  第三条のポイントの一つとして、

 世間の通念とは真逆の理屈であることがあげられます。

 社会とは別の価値観が提示されているということ。

 ここにやはり宗教の本領があります。

 社会と同じ価値観しか提示できないのであれば、

 宗教の存在意義はほとんどないと思います。

 世間と別の価値体系を持っているからこそ、人は救われるのです。

 イエス・キリストも、「今、泣いているもの、貧しいもの、苦しんでいるもの、

 あなたたちこそが幸せである。

 なぜなら神はあなたたちのためにいるから」と説いています。

 神の国はあなたのために開いているんだ、と。だから救われる。

 ただ、こういう理屈を強調する宗教というのは弱者の宗教タイプですね。

 ニーチェは、キリスト教は弱者の怨念でできた宗教だと批判しました。

 同様に浄土真宗も、弱者の仏道、愚者の仏道、悪人の仏道、

 といった独特の面をもっています。

 

ああ、ここまではまだ何とかわかる。

 

 罪と悪と救いの問題  

 そんなわけで、社会問題の「悪人」も含めた上で、

 「悪人正機」を考えることもできます。

 ただ、『歎異抄』第三条の文章だけでは、そこまでは読めません。

 第三条は、自力作善の人が善人、自分で悟りを開けない人が悪人、

 悪人が悪人のまま救われるから悪人成仏、そういう話です。

 悪人のまま成仏するというのは、

 いいお医者さんに診てもらうようなものです。

 電話して「熱があるんです、しんどいんです」と言ったら、

 「すぐそのまま来なさい、なんならいきましょうか」と言うのが

 いいお医者さんですよね。

 「熱があるんです、しんどいんです」と言っているのに、

 「熱が下がってから、元氣になってからおいで」と言われても……。

 それに熱が下がったら行く必要ないし。

 そのままに救われる、そのための仏ということです。

 仏教体系の中で、そのままで救われていくといった教えは傍流です。

 しかし、仏教体系の中に間違いなくあります。

 愚者が救われ、悪人が救われる、そういう救済原理があります。

 

悪人正機がこの「良いお医者さん」の譬えで少し理解が進んだかも。

 

 わかったと思ったらひっくり返される「お好み焼き理論」  

 そういう意味では、私自身も若いときに読んでいたのと今読むのとでは、

 『歎異抄』から受ける印象が随分違うことに氣がつきます。

 若いときは頭で読んでいると言いましょうか、

 「念仏は自分の善じゃないし、自分の行じゃないんだ」

 「聖道の慈悲は不完全だ」

 「父母の孝養のために念仏をするのではないんだ」

 など、『歎異抄』のフレーズをその通り受け止めていました。

 しかし、今読むと逆に、「だからこそ、供養しろ」

 「だからこそ、その社会に関われ」と言われているような氣がします。

 ここが〝道〟の面白いところです。

 歩めば歩むほど、最初わかったことがひっくり返って聞こえてきます。

 時にはまるで別のことを説いているように思えてきます。

 司馬遼太郎が、無人島にたった一冊だけ本を持っていくとしたら

 『歎異抄』だと言っているのは、

 このように何度も自分がひっくり返されるような書物だからでしょうか。

 これを私は自分の中で、「お好み焼き理論」と名付けています。

 焼けてきた頃にひっくり返されます。

 わかったと思ったらひっくり返されます。

 もうすっきりさせてくれ! と、思うときもありますが、

 なかなかすっきりさせてくれません。

 振幅を伴いながら、歩みは進んでいくのかもしれません。

 

なるほど。。。分かったと思うところから「反転」が始まるのか。

「分かるようで分からない」というのが

分かっていることなのかもしれないな。

 

自然を生きる/玄侑宗久 釈徹宗 21246

 

いきなりはじめる仏教入門/内田樹 釈徹宗 15341

 

NHK「100分de名著」ブックス 歎異抄/釈徹宗 22033

 

歎異抄をひらく/高森 顕徹 19348