修業論/内田樹 21257
★★★★★
kindleにて再読。内田樹先生の本、3年も間があったようだ。
前回は 武道家としての坂本龍馬 の面白さに居着き過ぎたようだが
毎日稽古が出来る身になって、
改めて「修行」の意味を本書を通じて自らに問う。
そして私は、武道を選択した
武道的な術技のブレークスルーは、
昨日まで自分の技量の上達を計測するために
使っていた「ものさし」が、
今日はもう適用できないというかたちをとる。
言い換えれば、それは「私の心身のパフォーマンスの向上」
というときの「私」が、昨日とはもう別人になったということである。
「昨日の私」がめざしていた場所とは別のところに
「今日の私」はたどりついてしまったということである。
喩えて言えば、「アメリカめざして船を漕いでいたら、
竜宮城についてしまった」というようなものである。
その場合にその変化を、
「上達」とか「向上」という相対的な言葉で
言い表すことが適当であろうか。
私は無理があると思う。
武道における修業のプロセスは、
「私は……」と名乗る修業の主体が、
連続的に別のものに変容する歴程なのである。
何とも上手い。
線形的ではない、別世界に飛躍した感。
そうか。これを求めて修行しているのか。
自分の手持ちの世界観が揺らぎ、
度量衡が適用できないような事態に遭遇したとき、
人は無知によって武装する。
それは狸があるレベルを超える危機に遭遇する
と仮死状態に陥るのと似ている。
それは長く教壇に立ってきて
氣づいた経験知とも符合する。
多くの人は学生たちの無知を
知識の不足のことだと考えているが、
実際に教える立場になると、
それが違うということはよくわかる。
学生たちには知識や情報や技術が
不足しているわけではない。
人間は放っておいても、
驚くべき勢いで知識を身に着け、
情報を取り込み、技術を習得する。
人間のうちには「学ぶ」ことへの根源的な衝動が
間違いなく存在するのである。
無知とはそれを妨げる力のことである。
「学び」を阻止し、抑制せんとする懸命な努力のことである。
だから、多くの人が考えているのとは違って、
大学教育とは、何か有用な知識や技術を
「加算」することではない
(そう信じている教師 も少なくはないが)。
そうではなくて、
「学び」への衝動の自然な発露を妨害している
学生たち自身の「無知への居着き」を
解除することなのである。
学校教育がなすべき第一のことは、
学生たちの頭にぎっしり詰まって、
どろどろに絡みついて、ダイナミックな
「学び」の運動を妨げている
ジャンクな情報を「抜く」ことなのである。
内田樹先生は神戸女学院で教鞭をとられていた方。
若い学生でこれであれば、
社会人教育はなおさらのことだなぁ。。
必死に「学ばない」「変わらない」「捨てようとしない」
努力を続ける受講生が結構いらっしゃる。。
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