私の身体は頭がいい―非中枢的身体論/内田 樹 06357
- 内田 樹
- 私の身体は頭がいい―非中枢的身体論
- ★★★★★
甲野善紀先生のご著書や会話の中に良く出てくる
神戸女学院大学の内田樹(たつる)先生の武道論・身体論。
合気道はなぜ愉しいのか、と改めて問われると絶句してしまいますが、
これまた例によって「頭では説明できないが、身体が喜んでいる」
ということになるでしょう。
武具は、それを「使おう」とすると、それに「使われ」、
それを「操ろう」とすると、それに「操られ」、
結果的に道具が主、人間が従になるように
構造化された「謎」なのである。
武道は「不祥之器」すなわち「本来存在すべきでないもの」
という負の宿命を刻印されている、
「勝つことは光栄ではない」。
それゆえに、修行者達の身体的・精神的な努力は
「勝利することを喜ばないような」主体を構築することに
最終的に収斂する。
「勝利することを喜ばないような闘争主体」を作り上げることを
究極の目標とするような身体技法の体系、それが武道である。
敵を忘れ、私を忘れ、戦うことの意味を忘れた時に
戦うものは最強となる。
なぜなら、彼にはもはや「守るべき自我」も「破るべき敵」もないからだ。
その身体運用はあらゆる「居着き」を去った融通無碍、
完全に予見不能の自在境に到達している。
しかしその最強の身体は、もう戦うことに意味を見出すことができない。
等々、「我が意を得たり」「なるほどなぁ」と感じるところばかり。
これならば甲野先生ともお話が合うだろう。
この本の主題でもあるのだが、
頭が理解できないことでも身体が理解できる、というのが私の特技である。
内田先生ほどではないけれど、私にもその特技はあると思う。
以前は自分の感覚のささやきである
「なんとなく」
ということを否定し、なるべくリクツで考え判断しようと努力してきたが、
最近はこの
「なんとなく」
がとても重要なことを教えてくれているのだ、
ということに氣づくようになってきた。
という田坂先生の本を思い出した。
そして、
「それでいいんだ」
と改めて思うようになった。
あと、本書で一番共感を覚えのが
どちらかというと私は
「余暇に武道の稽古をしている大学教授」というよりは
「生活のために大学教授をしている武道家」
なのである
偶然だろうけれど、
かつて私も同じようなことを後輩に言ったことを思い出した。
「生活のためにビジネスマンをやっている武道家だよ」
って。
最近は「ビジネスマン」の方が面白くなりすぎて
全くの稽古不足ではあるけれど。