見立てのチカラ

テーマ:
身体は宇宙という言葉がありますが、かなり言い古されている印象です。

身体の神秘という言葉も同様にそうでしょう。


言葉というものは使い回されていくと、途端にその臨場感は失われていくものです。


身体は宇宙とか、神秘に溢れているとか臨場感を持って日々生きている人は稀でかなり少数派だと思います。


女性であれば、男性よりはその機会は多いかもしれません。


しかし、ほとんどの人は忙しさにかまけ、当たり前に存在している自分の身体のことを深めて考えていたりはしないと思います。


そういう意味で私は少数派で、身体という宇宙と好きなだけ向き合うことが許されている幸せな人間であると思っています。



「奇跡の神体法」の本にはカラダは神社であると書かれています。


これは奇をてらったコンセプトではありません。

普通の人にとっては「カラダは神社?はてなんじゃろ?」となるのは当然だと思います。


しかし私は日々どの人のカラダも神社だと見立て、そこに向き合う毎日を続けています。


もともとそう思っていますが、その臨場感を毎日高めていく、昨日よりも今日さらに深めていく、そういう風に人と自分の身体と向き合って行くのが私にとっての修行です。



このブログで書くのは初めてですが、ボディヒーリングサロンゆにわでは施術に入らせていただく前に、必ず二礼二拍手をさせていただいてから始めさせて頂いています。



そうやって向き合うだけで、日々日々、身体というものは誰のものであっても、それはその人だけが持っている神社であると認識が深まっていくのです。


神社と同じように、身体というものは神域であると心得ています。

施術前に二礼二拍手を行うのは、その神域に向き合う上で慎みと敬いを表現しているのです。


全ての整体師がそういうわけではないと思います。


むしろ施術をする立場の人が、そんなにあからさまに体に敬意を表して触れているのは見たことがありません。
 

そういう意味では私はものすごく少数派で、初めはピンと来られる方は少ないかもしれません。



だからあえて立場を表現するならば、宮大工の方が神社の補修工事などをする感覚に近い、と表現させてもらった方が伝わりやすいのかもしれません。 



身体という神社をメンテナンスするお手伝いをさせていただいている。

  
それが私の立場です。


私が体が神社であるとして向き合うと、初めてのお客様は少しびっくりされますが、それと同時に


「施術される前なのに体が楽になりました。」


と言われることもよくあります。


これは私は「見立て」によるものだとお伝えしています。


自分自身のカラダをただなんとなく何の思い出もなく見ているのと、神社と見立てて扱ってみるのとでは、その瞬間にエネルギーが変わってきます。


何気ない頂き物などでも


「○○さんからの贈り物だよ。」


と言われて、その○○さんが尊敬している人なら大事さも変わってくるでしょう、そういう感じです。


「私の体って神社だったんだ…」  


と思った瞬間に(思い出した瞬間に)エネルギーが上がる。


そういうものだと思っています。


皆さんも是非思い出してみてください。



今日もあなたにまんぷくが降り注ぎますように!