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なんと虐待について、日本は特殊な国だそうです。80年代には「日本には虐待問題がない」とまでいっていた国が日本…
オックスフォード大学
ロジャー・グッドマン教授

⚫︎英国では、コロナ危機は子どもたちにどのような影響を与えているのでしょうか。日本では昨年度、小中学生の不登校等が過去最多となり、文部科学省は“コロナ禍が子どもの生活に変化を与えた”と分析しています。
英国では日本よりもかなり長期間、ロックダウン(都市封鎖)で学校が休校だった点が大きな違いです。オンラインで授業を行いましたが、学校の資金力や教育力によって、子どもたちの状況に差が生まれたことは否めません。
在宅勤務などで両親が家にいて、子どもたちと一緒に時間を過ごし、学校教育の手伝いをできた家庭は、比較的に良い教育を受けられたと考えられます。
一方、貧困地域などで、両親が共に外に出て働く必要があった家庭の子どもたちは、サポート体制の不足から、1年間にわたって十分な教育を受けられなかったのではないかと危惧されています。社会階級の差が、そのまま教育格差になってしまったのです。そうした子どもたちを支援するよう、教育・学術界から政府に強い要望がありました。
政府の支援が足りないことを理由に、この分野の専門家が意思表示のため、政府の職を辞するといったこともありました。英国の子どもたちがコロナ禍によって払わされた最も大きな代償は、教育の機会の損失だと考えます。
⚫︎子どもたち自身に変化はありましたか。
コロナ禍によって、子どもたちの不登校や自殺が増えたという確たる証拠は見当たりません。
しかし、家庭内暴力が増加したのではないかという強い懸念はあります。一番深刻な問題は、すでに難しい家庭環境にいた子どもたちがロックダウンによって家から出られず、逃げ場を失ってしまったことです。
これはどの国でも同じでしょうが、コロナ禍は、すでに存在していた問題を浮き彫りにしました。根本的な問題が、コロナ禍という危機に直面したからこそ明るみに出てきたのです。

⚫︎日本では昨年度、児童相談所が対応した児童虐待件数が初めて20万件を超え、コロナ禍による閉塞感と育児への不安が要因の一つになっていると指摘されています。
まず、児童虐待問題の深刻さを相談件数だけで計ることはできません。もう随分も前になりますが、日本政府が児童虐待の統計をとり始めた時、件数が多い地域が最も深刻だと語られていたのを思い起こします。
例えば、新聞の見出しで“大阪の相談件数が最多”と、いかにも最も悪いように報じられていましたが、冷静に考えると、全く反対の意味にもとれます。大阪は児童虐待を最もよく把握できていた、ということです。おそらく、優れた児童相談所が最も多い地域であり、児童虐待に関する意識啓発と教育ができていたのではないでしょうか。
相談件数が多いというのは、それだけ虐待についての意識が高いということです。件数がほとんどない地域ほど、むしろ危ない。子どもたちが直面する家庭内暴力のリスクが、住んでいる地域によって変わるとは考えにくいからです。
日本はとても特殊です。“わが国には、なぜ児童虐待が存在しないのか”といった議論が行われた極めてまれな国だからです。1980年代、日本の専門家は、健康保険制度や学校教育、警察などのシステムによって、日本には児童虐待問題がほとんど存在しないと語っていました。
ところが、問題が“発見”され始めると、一種のパニック状態になりました。私の予測では、児童虐待は常に同じレベルで存在していて、変化したのは周囲の意識だけだったはずです。
2020年度の相談件数が20万件だけだったと、私はむしろ驚いています。前年度より5・8%増加していますが、19年度は18年度より21・2%増加しています。コロナ禍という危機的状況を鑑みれば、もっと増加していても不思議ではなかったはずです。
もちろん一件一件の相談、児童虐待の問題そのものはとても悲しいことです。しかし相談件数が増えていることは、問題を把握できているということであり、日本にとっては前向きなことだと私は考えます。
今年8月、大阪府摂津市で、3歳の男の子が虐待死するという極めて痛ましい事件がありました。こうした悲劇が教訓となって、児童虐待への意識がさらに高まり、今後も相談件数は増えていくのではないでしょうか。
⚫︎英国も同じような傾向にありますか。
英国はじめ欧米と日本では、問題を把握し対応していくシステムが違うため、単純に比較するのは難しい。大きな相違点は、児童虐待に特化した専門家の人数でしょう。
日本の児童相談所に勤めている人の多くは、(専門の訓練を受けた)児童福祉司ではありません。私が日本の児童相談所で研究を進めていた時、そこで働く児童福祉司に話を聞くと、一人で100件以上の相談を担当していました。
一方、英国では、一人の児童福祉司が担当する相談は15件から20件です。しかも長年、経過を観察し続けるのです。責任の所在も、その児童福祉司にあります。
日本では一人当たりの件数が多く、行政や地域間の連携もうまくいかず、責任の所在がはっきりしない場合があるのではないでしょうか。
もう一つの違いは、歴史の長さでしょう。英国は1950年代から児童虐待の問題に取り組んできました。日本は、90年代に入るまでは、児童虐待に対する意識があまりなかったわけですから、まだまだ歴史が浅いといえます。

⚫︎日本では「こども庁」の2023年度設置を目指して調整が進められています。英国では、子どもに関する政策は一元管理されているのでしょうか。
英国では2007年、「子ども・学校・家庭省」が設置されました。福祉と教育を別々に考えるのではなく、子どもに関する政策を一つの省で担当すべきだという発想からです。
現在は「教育省」になりましたが、基本的には、同省が子どもの福祉政策を管轄し、20歳以上の福祉については「労働・年金省」の仕事です。
これは、児童虐待問題を含む子どもの福祉政策は、教育政策と同じように重要だという問題意識の表れといえます。子どもの福祉と教育を別々に考えるのは非常に危険です。つまり、児童相談所や養護施設などの福祉施設と、教育機関の両方が、同じ行政機関で調査・管轄されることが重要なのです。
なぜなら、対象とする子どもたちは、同一の子どもたちだからです。同じ大人たちが、同じ子どもたちを守るために施策を考え、実行していくことが大事なポイントです。違う大人たちが対応すると、教育と福祉の政策を一体化させるのが困難になります。
⚫︎教授は編著『若者問題の社会学』(井本由紀監訳・西川美樹訳、明石書店)の最終章で、「日本は若者以外に天然資源をほとんどもたない国であり、人口が高齢化し縮小すればするほど、若者が幸福な状態であることの重要性もますます高まってくる」と記されています。
私が日本の青少年について最も心配しているのは、家庭や地域から疎外されてしまうことです。日本の福祉政策は、「個人」よりも「家庭」をどう支えるかに力点が置かれている。家庭や地域を大事にするという概念に縛られ過ぎています。
例えば、家族を持たず、就職もままならないような人は、セーフティーネット(安全網)から漏れてしまいます。その最たる例が、児童養護施設を出た若者たちです。
彼ら、彼女らは、18歳でいきなり社会の荒波にさらされます。一般の若者は、20代まで家庭にいて、多くが大学卒業の学位を得て社会に出ます。これは決定的な違いです。養護施設を出た若者たちが、社会での安定した足場、良好な人間関係を築けずに、やがて、その子どもたちも養護施設に入るという、「負の連鎖」が起きています。
日本の福祉システムは、いい地域に住み、いい家庭に恵まれれば、より多くの恩恵を受けられるように見えます。しかし、その両方に恵まれない人は、恩恵を受けにくい。こうした社会の底辺にいる最も脆弱な人々、セーフティーネットから除外されそうな子どもたち、若者たちへの支援こそ最も必要です。


⚫︎創価学会の淵源は、小学校の校長だった初代会長の牧口常三郎が、“教育の最大の目的は、子どもの幸福である”との信念で「創価教育」を創始したことにあります。これまで第3代会長の池田大作は、「社会のための教育」ではなく、「教育のための社会」の実現を主張し、生命尊厳の仏法を基調とした平和・文化・教育の運動を世界で展開してきました。
非常に興味深い視点です。「社会のための教育」とは、社会の一員として何をなすべきかを教えるのに対し、「教育のための社会」とは、若者たち一人一人の可能性の開花に主眼を置くものと言えるのではないでしょうか。育った環境によって社会での立場が決まり、限界が定められてしまうような教育ではなく、一人一人に生きる力と自信を与える教育という意味では、私は全面的に賛同します。
教育こそ最も重要な聖業です。特に、人材以外の天然資源が少ない日本にとってはなおさらです。若者が加速度を増して少なくなっている今だからこそ、教育に最大限の投資を行うべきです。
最も苦しむ人々が幸福になってこそ、社会全体が幸福になるというのが、私の考えです。したがって、最も弱い立場にある若者への支援こそ、何よりも優先されるべき課題ではないでしょうか。だからこそ、子どもや若者たち一人一人を守るために、彼ら、彼女らに関わる政策が一元管理されていくことが重要なのです。
日本の初等教育のレベルは世界最高峰です。幼児教育の質も素晴らしい。システムから脱落していく子どもたちをどう守るかが、今後ますます大切になってきます。
「聖教新聞」12月15日付
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