ナイチンゲール
「進歩とは、次の進歩への一歩なのです」
😃今日は「夢の実現のためには、才能とは、努力とは…また、万人に開かれた芸術への道、豊かな人生とは…」等を茂木健一郎さんから学びたいと思います🔻
『第三文明』12月号
【脳科学者・茂木健一郎の人生問答 -大樹のように】第87回
👦🏻魚を見てると自分もスイスイと泳げるように感じます。でも僕は泳げません。上手な絵を見ると自分も上手く描けそうに感じます。でも描けません。茂木先生、できないのにできる感覚になるのはどうしてですか。実際にそのことをリアルに思い浮かべることができるのが不思議です。
(東京都・11歳・男性)
🎓茂木健一郎
ああ、これは本当に面白いことで、人生の味わいは実にここにあると言っても良いです!この疑問にたどり着いたことは本当に素敵なことで、ここから様々なことが始まります。
脳の回路で言えば、感覚回路と運動回路が離れてしまっていることで、そこを結んでいくことが人生の楽しみだと言ってよいでしょう。
良いものを見分けることができるという能力は、良いものをつくり出す上では必要条件です。何が良いか分からないと、そのようなものを生み出すこともできません。
でも、良いものが何か分かるだけでは、その良いものをつくることができないのです。このギャップに多くの人が悩んでいます。そして、ギャップを埋めるために、練習や勉強や修業があるのです。
夏目漱石は、文章を書く上では天才で、その小説も、随筆も、本当に素晴らしいです。
文豪・夏目漱石
その教養に裏付けられた言葉の並びは、まるで魔法のようです。「言葉を紡ぐ」ということに関しては、漱石は、感覚回路と運動回路がうまく結び付いていたと言えるでしょう。まさに言葉の「匠(たくみ)」です。
その漱石が、絵を描くということについては、全くダメでした。英国に留学した経験もある漱石は、西洋の絵もたくさん見ており、何が優れた絵か、どんな絵が良いのかは深く理解していた人でした。
ところが、漱石が趣味で描いていた水彩画は、本当にヘタクソです。素人の手遊びの域を出ていません。
なぜ、あれほど絵画の理解が深かった人が、良い絵を描けなかったのか。ここに、感覚回路と運動回路を結びつけることの難しさがあります。
しかも、言葉については、あれほどの天才を示した人なのです。漱石でも、良いものが分かるということが、良いものを生み出すことに必ずしも繋がらない。人生というのは難しいですね。
良いものを生み出すことは諦めて、良いものを味わうことが人生を豊かにする。そんな選択をする人もいます。それはそれで、素敵な人生だと言えるでしょう。
良いものをたくさん知っていることは、教養として欠かせないことです。良いものに触れた時間だけ、人生は豊かになり、人間性が深まっていきます。
良いものをたくさん知っている人のことを、ディレッタントと呼ぶことがあります。ディレッタントでも、十分に楽しい人生を送ることができるのです。良いものをたくさん知っている人は、それだけで心が豊かになり、人間に対して優しい人になれます。
それでも、少しでも良いものを生み出そうと思ったら、感覚回路と運動回路を結びつける努力をしなければなりません。そのためには、練習、勉強、修業あるのみです。
『アマデウス』という素晴らしい映画があります。天才モーツァルトが、良い音楽をたくさん生み出し、奏でるシーンが出てきます。
映画『アマデウス』(1984)
一方、同時代の作曲家サリエリは、良いものが何かは分かり、モーツァルトの天才も理解するのですが、自分では生み出すことができません。
つまり、サリエリはディレッタントで、なぜ生み出せないかという苦悩が映画のテーマの一つとなっています。
脳科学の立場から言えば、モーツァルトは才能ももちろんありましたが、音楽を演奏し、作曲するという「実習」を子どもの頃から延々としていた、ということも大きいのです。
脳の回路は、突然には変化しません。どんな天才も、実践を積み重ねなければ開花しません。
人生は長いです。まずは、良いものが分かるということは素敵なことだと認識し、たくさん良いものに触れることが大切です。それでディレッタントになるだけでも、人生としては上出来です。
さらにその上に、自分が良いものを生み出したいと思うのならば、毎日、ずっと、鍛錬し続けることです。
日々の積み重ねで、感覚回路と運動回路が、徐々に結び付けられて「一致」してきます。
自分が感じるものと、生み出せるもののギャップがあることは、とても素敵なことなのです。そこからスタートして、ギャップを少しずつ縮めていくことが、人生の醍醐味なのですから。
僕は、茂木さんは科学者としての経験と道理に徹しながらも、人間的な心の温かさがあり大好きです。
今回のディレッタント(≒模倣者)という捉え方も、現代のSNS時代で、より広がっている他者への評論、批評の根源ですね。
音楽でも、コピーバンドから、DJやリミキサー、アレンジャー、レヴュアー等、ディレッタントに溢れています。
否、オリジナル・ソングを作っているミュージシャン、アーティストの多くもディレッタントかもしれません。
批評家・小林秀雄(1902 - 1983)
「ただ尊敬という道があるのです。人を軽蔑する批評はやさしい。それでは発達も創造もないのです」
「こちらから登っていくのだ。向こうをこちらまで下げるのではない」と。
もちろん誰もがモーツァルトになれればいい。若い人たちには先輩たちがギャップを埋めるべく「実習」に導いていく必要があります。
でもサリエリでもいい。「真似る=学ぶ」。一歩一歩を誠実に前進する中、それぞれの、より深い人生の道は作られるのかもしれません。
そして、音楽、芸術、文化を通して、自身を高めながら、他者を敬い、優しくなれたら素晴らしいと思います。
😆おまけ
音楽家・坂本龍一
YMO時代、高橋幸宏のドラムを見てて叩けると思ってしまった坂本龍一…ありましたね(笑)「世界のサカモト」もドラマーとしてはディレッタント❗😆













