技術がなければ話にならない。 | 養腸家・腸セラピスト 真野わかのココハナ(ここだけの話)

技術がなければ話にならない。

おはようございます。養腸®家・セラピストのmanoです。

 

 

今さらながら、ピアノの森(マンガです)を読みました。

 

 

 どハマり・笑

 

 

内容や感想はさて置き(置くんか~い)、

何巻だったかしら、このようなセリフが

書かれていたのが印象的で。

 

 

「技術がなければお話にならない

しかし、技術だけではどこまでいっても

技術だけだよ」

 

 

このセリフを読んだとき、

ピアノに関してだけのことではない、

と思ったんですわ。

 

 

身体をほぐすときもおんなじ。

 

 

技術がないとだめです。

あった方がいい、のレヴェルじゃなくて

ないとダメ。

 

 

一方、技術だけじゃダメなんです。

知識とか経験とか、そういうものも必要ですが、

それ以上に、ほぐす側に こころ があるかどうか。

 

 

抽象的な表現でスミマセン<(_ _)>

 

 

目の前のお身体(腸を含む)に対して、

どれだけ意識や注意を向け、観察し、

同時に己の中に、考察や探究する力、

想像力があるかどうか。

 

 

それらが常に施術者に内在することで、

技術を提供したときに、技術だけでは

説明しきれない思いもかけない“何か”が

生みだされる氣がするのです。

 

 

ますます抽象的・・・。

 

 

技術だけあればいいのなら、行き着く先は

精巧で精密な機械ができれば機械で事足りる、

ほぐせる ということです。

 

 

でも、おそらくそういう事態と時代にはならないのよ。

 

 

手からは、手の持つパワー(氣や温もり)や

手技を提供する者だけが持ちうる創造性が出ます。

 

 

機械にはそれができません。

 

 

難しいことはますます機械ができるようになるでしょう。

同時に、機械ができないことは、人がどんどんやる時代になります。

 

 

身体(&こころ)をほぐす、心をゆさぶる感動を呼び起こす などは

人が人であるがゆえにできるのです。

 

 

腸をもむ は未来永劫人が提供する技術として

残る氣がしてなりませんし、残すべき技術である、

とも思うのです。

 

 

ふだんは「~~べき」は使わないんですが

人の手が生み出すものに関しては

後世に残す“べき”だと強く感じます。

 

 

真野わかの 腸もみ(養腸セラピー講座)はコチラ

 

 

郷里でブログをお読みの方も

本日が連休最終日の方もいらっしゃいますね。

もちろん、いつもと変わらぬ日々を送られている方も!

 

今日という日がかけがえのない素晴らしい1日となりますよう^^