阿佐田哲也の『競輪教科書(バイブル)』は、私が競輪にハマるきっかけとなった作品で、何度も読み返すほどに愛読していたのだが、いつの間にか手元からなくなっていた。
引っ越しのどさくさで間違って捨てちゃったのかなあ。
またいつか機会を見て買い直そう。
そのなかで書かれていたことに「競輪とは神になる遊び」……意訳ではあるが、そんな一節があった。
選手の力量だけでなく、個々の性格や、地区ごとの人間関係など、さまざまな要素を積み重ねて予想を組み立てていく。
競輪に疎い人からは「八百長」と言われかねない、「誰かを勝たせるために、自分が犠牲になって駆ける」みたいなことも、当然のように予想の範疇となる。
そうやって予想したことがすべてドンピシャで決まったときには、神通力を得たような気分になることができる。
ひとつのレースのなかで重なり合う人間模様をすべて掌握する、まさに「神様になった」ような悦楽を得ることになる。
他のギャンブル種目を貶すつもりはないけれど、競輪ほどおもろくて「コク深い」ゲームって、他にないと思うんだがなあ。
どう思う?
※きのうは1個レースで神になることができました
