金属バットについて「ネタが尖っている」という評価をよく耳にする。

 

 私も2018年のM-1グランプリ敗者復活戦で初めて彼らを見て、その後、なんだっけ、タイトルは忘れたけどタイムマシン3号らがMCを務めていた深夜番組(スマートフォンデュだったか?)で、友保がばっちりギャルメイクをした状態でネタ披露をして「せっかくメイクの人がいたからやってもらった」みたいなことを言っていたのを見て、私も「尖った変なヤツだな」と感じたものだった。

 

 そういえばこの時は、「中堅芸人が若手紹介」みたいな番組内容だったんだよな。

 そのタイムマシン3号に今回勝ったというのはなかなか味わい深い話である。

 

 だがその後、金属バットのネタ(違法アップロードのものも含む)をいくつか見たり、ネット番組、ネットラジオ等で地のしゃべりをよくよく聞くうちに、彼らがかなり純粋で常識的であることに気付く。

 それも「今時の意識高い系のイケてる常識」ではなく、昭和以前の匂いを感じさせる常識だ。

 セコイことや身勝手なこと、やたら流行りに飛び付くようなことを「ダサい」と切り捨てて、その一方でまじめにやっている人たちを慮るような発言は、今も彼らのネットラジオ等で度々聞かれる。

 

金属バット小林さんはTwitterを使っています: 「金欲しいなら国金から借りろ気持ち悪い」 / Twitter

 

 これなどは彼らが常識的であることの典型で、関係性のある人間であっても自分たちの気に沿わないようならバッサリと行く。

 

 そうして「テレビに出たくないのか?」と問われれば「お金は欲しいけど、あんまり忙しいのは嫌」という様は、まるで落語の登場人物のようでもある。

 

 そんな彼らなりの基準を良くも悪くも容赦なく周囲に突き付ける姿を「尖っている」というのならその通りなのだが、それは決してポーズでやっているわけではなく、素直な気持ちを「笑い」というフィルターをかけて露出させていること。

 インタビューを受けた際に延々とデタラメを言い続けることについても「マジメにしゃべるのは恥ずかしいし、そもそもおもしろくないし」という気持ちの表れだが、最近はそれを「気取っている」と見られるのもみっともないと思うようになったのか、ふつうにしゃべる様子も見られるようになってきた。

 

 そして「素直な感覚」は金属バットのネタにも生きている。

 子どもがウンコやチンチンをおもしろがるのと同じように下ネタをいい、自分たちの気に入らないことには笑いを交えつつ忖度はなしに「嫌だ」という。

 「悪いこと」を言って世間が眉を顰める様子を見ておもしろがったりするのも、まんま子どもの仕草だ。

 欲得についても「タバコを吸いたい」「酒を飲みたい」「エッチしたい」「カネが欲しい」とそのままを口にする。

 

 金属バットの漫才は、言うならば高校時代の仲間内の話の延長ともいえるのではないか。

 小林が仲間ウケを狙って盛った話やホラ話をして、それを友保が「ホンマか?」とツッコミながら追及していく。

 

 かつて上岡龍太郎だったかなあ。

 「結局、どんな優れた演芸などよりも、その人の仲間内のバカ話のほうがおもしろい」というようなことを言っていた。

 それをお笑いの芸に落とし込んだものが「あるあるネタ」だったりするわけだが、しかし金属バットはそうではなく、内輪話の雰囲気そのものを漫才の形式に持ち込んだ。

 

 これも昔の有名な話で横山やすしが初期のダウンタウンを「チンピラの立ち話」と腐したことがあったらしいが、そのチンピラの立ち話をずっとやり続けているのが金属バットなのだとも言えよう。

 

 だから何かを演じる「コント漫才」みたいなこともほとんどやらない。

「尖りやシュール」的なものも漫才用にひねり出したものではなく、自分たちの素直な感情から生まれているところが他との大きな違いだ。

 

 マンガ『セトウツミ』というのはあまりちゃんと読んだことはないのだけれど、それと金属バットの漫才は、内容はともかくとして、「高校生2人がひたすら無駄話をしている」という形式自体、かなり似ているようにも思う。

 このマンガは女子人気が高かったと聞くが、そうして考えると金属バットがなぜ女子ウケするのかというのもわかるような気がする。

 

(まだ続けるかも?)