桜を見る会、「いやあゴメン、ゴメン」で済んだ話だったろうに、ヘタ打ったもんだなあ。
まあ政府的にもけっこう早い段階から話せるところは話して終わらせようという気満々だったんだろうが、もうちょっとね。
いまでさえ、批判的なメディアがこれを報じる際に「いつまでこんな話をという声もありますが、しかしこれは重要な問題で……」なんて前置きをつけてるような、文句を付けるにも言い訳を必要とする苦しい状況なんだからさあ。
「春を寿ぐってことでつい悪ノリしちゃった」的な感じで明るく開き直っちゃえば、野党やメディアはともかく世間的には「問題なし」で終わったと思うぞ。
内閣にはそういうことを平気で言い除ける叩かれ上等の道化的存在が必要なんだろうなあ。
それとは別に、この話題が持ち上がった当初からずっと気になっていたのが、「国に貢献のあった人を招待する場なのに、なぜ安倍後援者を……」「昭恵夫人の関係者がなぜ」というような物言いなのだ。
ふだんは「人間皆平等」「生きているだけでも価値がある」なんていっている同じ口で、「招待客が国への貢献者じゃない」という。
「おまえには桜を見る会に呼ばれる価値がない」と。
内閣批判においては人権意識など脇に追いやっても構わないということなのか。
どうにも酷い話で、私がこの話題で一番嫌なのが、じつはここなのである。