ご当地アイドルの自殺について松本人志がワイドナショーで「死んだら負け」と話したという件。
その時間はEテレで将棋三昧なので放送を見ていなくて正確なニュアンスは不明ながらも、まあ言わんとしていることは分からないでもない。
まず松本としては自分の娘を想定して「どんなに辛くても死んだら絶対ダメ」というのが一番にあるのだろう。
これはやはり娘を持つ身としてはまったくの同感。
娘を自殺で失ったときの喪失感となると、想像しようにも脳みそがついてこないぐらいにデカ過ぎる。
勝ち負けという言葉を使ったことへの批判はあるようだが、「死=負け」「自殺した子を敗者と見なしている」と文字面そのままに受け取る人がそれなりの数いるというのは、そのことのほうが私にとっては驚きだ。
これも想像には過ぎないが、松本としては「負け」よりも「勝ち」のほうに重きを置いて発した言葉なんだろう。
生きてさえいればいつか笑える時が来る。
それを勝ちと表現したわけだ。
死んだところで親兄弟以外の他人はすぐにそんなことは忘れてしまい、世の中は何も変わらないし、自殺のきっかけとなった人間も、なんだかんだで生き続ける。
そんな死を選ぶのではなく、生きようよと。
「他人には分からない、生きていけないほどの苦しみを抱えていたんだ」と自殺者に寄り沿うかのごとき意見もあるが、それは全く以て間違っている。
断言できる。
どんな状況になったところで絶対に逃げ場はある。
死を選ぶ者はそれに気づかなかっただけだ。
特に子供は知識も経験値も少ないから、大人からするとつまらんことでも死を選んでしまうことになりかねない。
そのときに「死んだら負け」という言葉は単純で分かり易く、自死を選ぶ直前のストッパーとなる可能性はある。
よって松本の言葉は私としては間違っていないと考える。
「ただ生きる 生きてやる 呼吸を止めてなるものか~♪」
ザ・クロマニヨンズ 『エイトビート』より