行方不明の2歳児が3日越しに発見された件。
 祖父目線で見ていた私などは「もしこれで亡くなっていたら娘から逆縁を切られることは確実。家庭崩壊となればもう自殺するしかないなあ」なんて胸苦しい気持ちで事の成り行きを見ていただけに、ホント無事発見の報を知ったときには胸を撫でおろしたものだった。

 まだ発見されていないとき、祖父がマスコミに軽い調子で答える様子には違和感も覚えたが、きっと田舎育ちの昔かたぎでしかも諦めの気持ちも大きかったがゆえに、マイクを向けられたときに素直な感情表現ができなかったということなんだろう。



 理稀クンを見つけられなかった警察らと、発見に至ったボランティアの尾畠さんとでは大きな違いがあったように思う。

 警察らは「事故による不幸」というのが前提にあったから、溜池やら用水、海に向かう下流を中心に探した。
 方や尾畠さんは「生きていること」を前提に捜索したから、「それならばこっち」と山の上に向かった。

 これはどっちが正しいということではないんだろう。
 今回はたまたま良い方向の目が出たけれど、逆のケースもきっとあるはずだ。


 ただ、この状況でなお生存を信じて活動できた尾畠さんというのはやっぱり人間としての徳性が高いんだろうなあとは思う。
 私もこういう爺さんになりたいものだが、他人の幸せに心の底から思い馳せられるようになるためにはなんというか、今後もっともっと余裕を持った人生を送らないと無理なんだろうなあ。