「日本自慢」を批判する人間はおしなべてバカであると断言できる。

「日本スゴイ」なんて自己陶酔する「この国」はアホの限界
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2017/01/22/post-1358.html

 書き手は毎日新聞編集委員の牧太郎。
 67年に入社というからちょうど私の人生と同じ、今年で50年になるのか。
 読んでまず思うのは「この程度の人間が入社できてなおかつ幹部にまでなれるとは、その頃のマスコミってのはホント関門が低かったんだなあ」と。
 そりゃそうだ。
 高度成長に沸く日本において、大学まで卒業しておきながら各種産業ではなくマスコミ業界を志望しようなんていうのは、よほどの変わり者がデキ悪、学生運動崩れぐらいしかいない。


 日本自慢=悪とする論説の何がおかしいか。
 
 話は簡単だ。

 たとえば、こういうことを言う人はいわゆる郷土自慢みたいなことも悪というのか。
 「我がふるさとの伝統の祭り」なんて言うのに対し「ほかに誇るものがないからそんなことを言う」「都会に対する歪んだ優越感」と批判するのか。
 あるいは「素晴らしい大自然」と喧伝する観光立国に対し「それしか自慢することがないのか」「田舎者の自己満足に過ぎない」と。

 恐らく答えは否だろう。
 日本自慢や個人の自慢は悪で、田舎自慢は善と機械的に判定するに違いない。

 なぜそんな矛盾が起きるのか。
 こうした日本自慢を批判する人間に確固たる「差別意識」があるからだ。
 前提として田舎を弱者と決めつけ、また日本が悪で周辺諸国は善と決めつけているから「田舎自慢はほほえましい」「日本自慢は邪悪」なんて見方をする。

 つまり日本自慢を批判する連中はおしなべて己の偏狭な決めつけでしか世の中を判断できないバカと断定できるのだが、こうしたヤツらはバカだからこそ自分の思考体系が歪んでいることに気が付かないから始末に悪い。

 牧太郎、あなたこそアホなんだよ。


 もうひとつ例を挙げる。

 ものすごく脚の速い子がいたとする。
 鍛錬すれば五輪も目指せそうなレベルであるにも関わらず、なぜか本人は気付いていない。
 そういう子に対し「あなたは脚が早いんですよ。誇りなさい」と教えることは悪なのか。
 違うだろう。

 日本人が気付いていない日本のストロングポイントをしっかり周知させることはプラスになりこそすれど、マイナスになんてなるわけがない。
 
 そうしてしっかりと自己に誇りを持てるようになったときに、ようやく他者に対しても善意で臨めるようになる。

 高度経済成長期に中国や韓国があれこれ言ってきて、アメリカが無理難題をふっかけてきても、「それも一理ありますね」と受け流してこれたのは、まさしく日本人が自国に対して誇りを持っていたからこそであり、それをまた違った形で取り戻そうという作業を批判するなどはとても知性のある人間のふるまいとは思えない。