特攻隊は「テロリストとは違う」「戦友への侮辱だ」 仏報道に88歳元隊員憤り


 記事によれば、今回のフランステロにおいて、現地メディアでは「カミカゼ」との言葉を使った報道が為されているという。

 これに対し、元特攻隊の方が記事中のようにおっしゃる気持ちは分かる。
 しかし本当に、特攻隊とテロリストは別物なのか。

 敵軍を標的とした軍事行動であった特攻隊と、民間人を無差別で襲う自爆テロ。
 これをまったく別物と考えるのは、恐らく特攻隊に与する側の人々だけではないか。

 テロリストは「特攻隊が国のために散ったように、我々もアラーのために散ったのだ」と言うに違いない。
 敵軍を攻撃するのも、民間施設を攻めるのも、勝利のために有効な手段と判断したという意味では同じだ、と。 
 それどころか「自分たちは神の意志でふるまっているのだ。単なる軍事行動といっしょにするな」と言うかもしれない。

 また攻撃を受けた側にしてみれば、「どっちも気違い沙汰でかわりはしない」と受け取るのではないか。
 そうして今の世界の主たる思想風潮は、“日本の特攻を受けた側”によって形作られている。

 戦後体制の中で生きていく以上、カミカゼと自爆テロを同一視する価値観を受け入れていくしかない、というのが現実ではないか。

 慰安婦や南京のようなデッチあげは徹底して反論する必要もあろうが、特攻隊は現実に存在したものであり、それに対する立場ごとの受け取り方が違うのはどうしようもない。
 こちらがいくら「もっと崇高な精神によるものだ」といったところで、その犠牲となった相手にしてみればとうてい受け入れられるハズもない。


 では私自身はどう考えるのかというと、やはり特攻隊と自爆テロは大差ないと考えている。

 これは特攻隊を残虐なテロ行為と同一視してのことではない。
 そうではなく、自爆テロが、彼らにとって、現在の世界の枠組みを変革し自尊を守るためのやむを得ない手段なのだろうと考えているということだ。


 犠牲者を悼む気持ちは強い。
 自爆テロを称賛するわけでもない。
 だが、その一方で、西洋中心の資本主義が、世界全体を見渡したときには差別や格差を助長する歪んだものであるとも考える。

 実行犯を「野蛮な暴徒」として見るだけではきっとテロの連鎖のおさまることはない。
 むしろフランスのオランド大統領が「これは戦争だ」と断じ、真っ向からの戦いを表明したことのほうが、より人間らしい選択だとも思う。
 

 イスラム国殲滅のために地上軍を派遣すれば双方に甚大な犠牲が広がることは間違いない。
 しかしそれは、有史以前から続いてきた、人間としては極めて自然な、それぞれの生存を懸けた営みなのである。

 もっと人類の英知の下で、理性的に、平和な解決法を目指すべきだというのも正論ではある。
 だがそれを言えるほどに、現状において中東地域と西側諸国の立場は対等なものではない。
 それぞれが同じ立場から建設的な対話が持てるようになる前段階にある以上、根本解決には荒療治も仕方があるまい。