「デモ」を略さずに言うと「デモンストレーション」となり、どこか軽い印象となる。
 しかし日本語に訳すと、法令上では「集団示威運動」となるという。
 印象としては非常に重々しく、何か無法者の集まりのようにも聞こえる。
 一般にデモと言われるのは後者のイメージだろう。
 
 表現の自由の観点からすれば、これは国民に認められる行為ではあろう。法令に則り、関係公共機関の許可を取ってやる分にはかまわないと私も考える。
 
 ただ、許可なくやるとなると、これは職業右翼が企業を取り囲んで糾弾するのと同じ脅迫行為にあたるだろう。
 
 その意味で、私は石破茂が「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」とブログに記したことに同意する。
 
 
 だいたい、国会前や官邸前において集団で叫ぶことに正当性はあるのか。
 国会議員は、選挙という民主主義を行使するための仕組みによって国民自らが選んだものなのである。
 それに対して反対の声を挙げるなら、やはりちゃんと民主主義的手続きを取るべきではないか。
 それをせず、ただ大声を挙げるなどは反・民主主義的行為でしかない。
 
 
 自分たちの意見を周知させるために、街頭を練り歩くデモについては理解できる。
賛同者を広めようという意図が感じられるからだ。
 
 ところが国会前でデモをしても、それを聞かせる相手は国会議員であり、それは国民に選ばれた国会議員の意思を、民主主義に反して捻じ曲げようという意味にしか受け取れない。
 
 大声を挙げて騒ぎにすれば、マスコミに報道され、結果的に日本中に意見が広まるという考え方もあろうが、それも何か手間を惜しんでいるような、楽して自分の意見を広めようという行為に感じられて賛同できない。
 それなら自らカネを出して意見広告を出すほうが、警察等に手間をかけさせない分、ずいぶんとマシだ。
 
 カネも労力もかけずに自分の意見だけを通そうというその横着な根性が気に入らない。
 
 自分たちの意見を通したいなら、それを代表する人間を国会に送り込む。
 小学校でも習うあたりまえの民主主義的行為をショートカットする国会&官邸前デモは、民主主義的観点からしていささかも同意できない。
 
 
 抑えきれない感情を吐露するという心情は理解できるが、その行為が民主主義に反する不法なものであることは、当人たちにしっかり理解しておいてもらいたい。