※会場が変更になりました!2/01記す


アカデミー茗台→シアターウイング





※おかげさまで定員に達したため参加希望者締め切りました!ありがとうございます!


ご覧いただきありがとうございます。

★チェロを学習していて、

将来オーケストラや室内楽で演奏することを目標にしている。

でも、合奏の雰囲気とはどういうものだろうか?

 

★オーケストラやアンサンブル団体に所属しているけれど、

管楽器や打楽器が鳴っている中、チェロの音を十分に聴けているだろうか?自分の音は美しいだろうか?

 

★チェロのレッスンに通っているけれど、

一対一のレッスンが中心で、

他の人と大勢で合わせる機会が欲しい!

他の人のチェロの音も聴いてみたい!
チェロ友を作りたい!

 

★子どもがチェロを習っているけれど、
レッスンだけでなく合奏の体験をもっと味わわせてやりたい。

あるいは、チェロを弾いている他の人を見ることだけでも、モチベーションがアップするのではないか?
 

そんな需要があるのではないかと思い、

チェロの合奏練習会を企画いたします。

2022年2月20日(日)

時間:9:30~11:30
ミニコンサート:11:40~12:00

場所:アカデミー茗台→シアターウイング
1階 レクリエーションホールB
丸の内線茗荷谷駅より徒歩10分
[バス] 都営バス都02系統「小石川四丁目」より徒歩3分

丸の内線四ツ谷駅より徒歩8分程度

閑静な住宅街の中にあるスタジオです。

 




参加費:1500円
演奏参加人数上限:20名
見学・付き添い:30→10名まで(見学は無料です)


指導・サポート演奏
大澤久
井利智子

内容:
★基本的な音階練習
★かえるのうた

★スズキメソード一巻の曲
きらきら星
フランス民謡
ちょうちょう
アレグロ
リゴードン
メヌエット第二番
★讃美歌:高きところでは神にのみ栄光あれ(allein gott in der höh sei ehr)

※いずれもチェロ三重奏にアレンジしてあります。
楽譜はコチラ(pdfファイルです)

 

 

パートは自分が弾けそうな、弾きたいところを選びつつ、
お互いの音を聴きあいながら、良い響きを作っていければと思います。
中級者以上の方にはごく簡単な楽譜ですが、
簡単な楽譜を美しく演奏しようという時間を作ることは、楽器をやっていくうえでとても大事な時間だと思います。
そういった場としても活用していただければと思います。

当日サポート演奏をするものがいますので、
調弦で困ったり、指番号が分からない場合はお気軽にお尋ねいただけます。

また、練習後に指導二人によるチェロデュオによるミニコンサートをさせていただきます。

当日スコアをお配りしますので、それをご覧いただきながらお聴きいただければと思います。


演奏予定曲:
ヴィヴァルディ チェロソナタ第五番
バリエール ソナタ ト長調

ご参加希望の方は

mannmaru399@gmail.com(大澤)

まで、

ご氏名:
チェロの経験年数:
付き添い人がいらっしゃる場合はその人数:

を添えて、ご連絡くださいませ。

どうぞよろしくお願い致します。

大澤久


 

ご覧いただきありがとうございます。

 

2022年1月23日(日曜日)の18時より
不忍通りふれあい館(千代田線「根津」駅下車徒歩2分)にて
弦楽合奏企画「弦楽道場」を開催予定です。

弦楽道場の趣旨ですが、
曲を練習するというよりは、
合奏の中で楽器・和声の響きを聴く感覚・耳を育てようというものです。


↑これは私が主宰しているオニオン弦楽合奏団の練習風景

トニック、サブドミナント、ドミナント、トニック・・・

(いわゆる”おじぎの和音進行です”)

といった機能和声のハーモニーは、弦楽器は一人ではなかなか練習できないもので、合奏の中で耳と身体の感覚を養っていくのが重要になってきます。(合唱と一緒ですね。)
いわゆるT→S→D→Tの中で「気持ち良い響き・流れ」かどうかという感覚を養うことは、音色・音程・フレーズ感・リズム感にまで良い影響を与えるでしょう。

音階練習、
ごく基本的な終止形から、少し転調を経由する形。
童謡やバッハのコラールを弦楽合奏で演奏することで、
「サウンド」「息遣い」「ハーモニー」を感じる・聴く練習をしよう!!

「弾く」練習ではなくて「聴きあう」「響きあう」練習をしよう!!

というのが主目的になります。

楽譜はスコアを使用し、
他のパートが何をしているのかを視覚的にも理解し、
五感から得られる情報をより耳・音に傾けていく時間を作るのも大事だと感じてもらいたいと思っています。

初心者の方はもちろん、
中級~上級の方でもシンプルに「響きあう」「聴きあう」練習の機会というのは普段のオケ活動の中で時間を使ってやることはあまり無いと思いますので、是非ご参加を検討くださいませ。

イベント情報
弦楽道場@根津
日時 1月23日(日曜日)の午後18:00から21:00まで。(会場は17:30から入場可能)
場所 不忍通りふれあい館 地下一階ホール(千代田線「根津」駅下車徒歩2分
定員 40名まで(会場キャパは200名なので、合奏使用でしたらMAXは50~60程度ですので、余裕はあります)
使用楽譜URL
https://drive.google.com/file/d/1_bGunjGeXUqWjBbEo--QwcK9vB35jnQR/view?usp=sharing
(1st 2ndは任意選択です。バッハがぱっと見難しそうですが、テンポはゆっくりですのでスズキの一巻程度弾ければ大丈夫です)

参加を希望される方は

mannmaru399@gmail.com

まで

 

氏名
楽器(経験年数も)
希望パート(ヴァイオリンのみ)


見学のみ希望も大歓迎です(見学の場合、参加費はいただきません)



また、ぜひお知り合いの
「弦楽器を初めてまだ間もないけれど、合奏機会があったら参加したい・・・」
という方がいらっしゃいましたら是非ご紹介くださいますと嬉しいです!!
よろしくお願い致します。

主催者プロフィール 大澤久
東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻卒業。
在京のアマチュアオーケストラのトレーナーや、
オニオン弦楽合奏団を主宰し、編曲・指揮も手掛ける。

↑弦楽合奏(+ピアノ)演奏会のリハーサル風景。

最近「山田五郎 オトナの教養講座」を観ているのだけど、

ルソーの回なんかは面白おかしくってオススメ。

 

 


美術評論や文芸評論を読んだり聴いたりしていると、

面白いなと思うのは、

やはり人間史であるよな、ということです。

絵画だったら、画家をとりまく人間模様、当時の世界情勢、価値観を踏まえて鑑賞することで、
その絵画に込められた想いをより強く感じ、感動することができる。
歴史研究や評論をするのは、人間について深く知って、よりよく生きていくためだろー。

 

ゲームにはルールがあり、プレイヤーがいて、世界観があり、キャラクターがいる(例外はあれど)。
そしてそこに音楽がある。(音楽が先という例ももちろんある)

どちらにせよ「ゲーム音楽」を語る場合、
その音楽が流れている世界・キャラクター、およびプレイヤーを無視して論じていいものだろうか?

 

「ロボのテーマ」を、ウン百年緑化活動に従事して大地を蘇らせた象徴として使用するのは、わかる。
「カエルのテーマ」や「ドラクエ序曲」を、敢然と困難に立ち向かう勇者としての象徴して使用するのも、わかる。

そういった背景を重視して、物事を捉え、

なるほど、今回のオリンピックにこそ、ふさわしい音楽だ!!
と、論じる事は至極もっともで、納得がいく。

でも、

「オリンピックに使われた!やっぱり”ゲーム音楽”は世界に認められた素晴らしい文化!」

 

は、違う。思考停止の他力本願ムーブで、よくないと思う。


そりゃあ、入場に使われた楽曲の質は確かに一定の水準を超えたBGMであることには違いないけれど、
じゃあ、吹奏楽の曲や映画音楽のオーケストラサントラと、質的違いはどこにあるのですか?
別にロッキーのテーマだって質的には十分良いだろうし、タラのテーマだって素敵だし、
吹奏楽の各種マーチだって、十分に質的には高いものがたくさんある。

「ゲーム音楽」であること故の、他のジャンルのオーケストラサウンドとの明確な「差」はどこにあるのか。

それに、先ほどの「勇者としての象徴」「パイオニアとしての象徴」などの意味合いで使用するのであれば、
映画音楽にだってふさわしい音楽はたくさんあるだろうし、
クラシック音楽にだってふさわしい音楽はたくさんあるだろう。
なにも「ゲーム音楽縛り」を設ける必然性は皆無なのである。

「ゲーム音楽縛り」に必然性を出そうとするならば、それは

 

ゲームはインタラクティブなメディアであり、プレイヤーの介入を必要とする

 

という状況を利用すべきだろう。
ボタンを押さなければ進まない、選択しなければ進まない、そして、自分の選択が世界を変える。
他のメディアとは一線を画すゲームの性質はここにあるのだから、

これに必然性を見出し、音楽を起用すれば、「ゲーム音楽」であることの意味を持ってくる。

 

今回のオリンピック選手は、このコロナ禍の中で、

危険や批判にさらされる覚悟を持ちながら参加することを「選択した」。

まさにプレイヤーである。

だから、ゲーム音楽で祝福されることに、もしかしたら意味はあるかもしれない。

 

じゃあ、聴衆はどうなのよって話。

「ゲーム実況」を観ている人間にとって、その背景に流れている音楽は、ゲーム音楽か?
「ゲーム実況音楽」になっていないか?

ゲーム実況をひとつの映像作品として捉えた時の、BGM、映画音楽との意味の差はどこにある?

 

オリンピックの入場行進曲を聴いているだけの聴衆は、プレイヤーではないのではないか?

じゃあ、ゲーム音楽のそのインタラクティブな性質、ボタンを選ぶ、選択をする重要性を享受できていないのではないか?

 

仮にあの入場行進曲に、新進作曲家の新作が実は混じってて、それがカッコイイ素晴らしい曲だったとして、
でも、「ゲームに使用されたことが無い曲」だったとして、

「ゲーム音楽じゃないからネェ・・・」

なんて評価が出るとしたら、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 

何が言いたいかっていうと、

 

「ゲーム音楽の社会的地位を上げたい、上がってほしい」

 

と欲するならば、

「批評し、研究し、発表せよ!」

 

ということ。

音楽単体でなく、

ゲーム体験を通してそこにどういった、

今を生きる人間として感動があるのか。

 

を。