フォローしているブログで、「羽生くんを認めないスケオタ」という、何のジョーク?的な言葉を見かけたので…


頭の中でつい、コントふうの会話にしてしまいましたわー


…………


「スケオタって何か知ってる?」


「スケオタ…スケートオタクのことかな」


「羽生結弦を認めないスケオタっているんやて」


「羽生結弦って金メダル🥇🥇の選手やん」


「あ、わかった。スケートボードのファンなんやね」


「違うで」


「そしたら、スピードスケートのオタクなんとちゃう?」


「そやなぁ、タイム競うのを見るのが好きなら、羽生結弦は…」


「その場合羽生結弦の名前わざわざ出す意味あるの?」


「清水さんも小平さんも、羽生選手を賞賛してた気がするけど」


「そういえばスピードスケート出身で、パワハラセクハラ裏金の政治家が、違うフィギュア男子選手を贔屓してた気ぃする」


「何やそれ、スケートオタクとだんだん話ずれとるがな」


「そらそやろ、羽生結弦を認めないスケオタて言葉自体がおかしいんやし」


…………


話がだんだんずれてしまったのは私やわー(^◇^;)


…………


どんなことでもそうなんですけど、何かを「認めない」というのはわざわざ言う必要ないんですよね。


たとえば私が、

「○○が××なんて認めない」と言ったとして、

それに何の意味があるでしょうか?


私がどう言おうと、あるいは何も言わずにいようと、○○が××だったら世間はそう思うでしょうし、○○が××じゃなかったら○○は××じゃないと認識するでしょうし。


私が認めるかどうか?なんて、このブログを読んでくださっている心の広い方たちくらいなので、地球人口分の読者様人数(のうち賛同した方の人数)の影響…くらいでしょうか。


スケオタと名乗る人が何人いるかわかりませんけど、その人が認めないと言ったところで自分の見る目のなさと心の狭さ汚さを撒き散らしてるだけで…


それが何か良い反応を得られるとでも思っているのなら、勘違いもほどほどにしときやー


と、思いました。


…………


羽生結弦選手を賞賛して認めてくださっているのは、ありがたいことに各業界のトップの方たちなんですよね。


一流は一流を知るってこういうことなんだなと、羽生くんがプロ転向して以来何度も感じました。


…………


ただ、二流以下のスケーターさんのファンが羽生くんを認めたくないというのも、わからなくはないんですよね。


要は、「二流スケーターがスター扱いされて三流スケーターにチヤホヤされて気分良くなる」状況を失いたくないんでしょ?


「桁外れの実力と魅力を持つメガスターが一流の方たちと組んで送り出す総合芸術作品」と比較されたら、これまでの(二流と三流の)アイスショーが著しく見劣りして立ち行かなくなると困るから、羽生くんのアイスストーリーをなかったことにしたいわけで。


でもねー


認めないと言ったところで、存在するものはそれを「見る価値ある」と思う方たちの間で、どんどん広がっていきますよ?


認めないなんてわざわざ言うのって…


酸っぱいブドウ🍇?

はだかの王様?


やれやれ〜ƪ(˘⌣˘)ʃ


小学校からやり直してこーいニヤリ


読んでくださってありがとうございました。