上大静脈症候群で救急へかかるも | 青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

青空のように 小細胞肺がんの母とわたし

母の闘病記。当初限局型でありながら完治しないと言われ2ndオピニオン等諦めてしまった母。しかし標準治療を取らなかった最初の病院に疑問を持ち県立がんセンターに転院、完治目指すも間に合わず多発転移、放射線治療抗がん剤を終えて在宅で緩和ケアがはじまりました。

県立がんセンターにて放射線治療が
昨日からスタートした母ニコ

がんセンターでの精密検査から
放射線治療開始までの約二週間弱…
ここまでがとても長く感じましたえーん


現在の母ショボーン
咳き込みが始終あり、呼吸苦ですっかり
体力がダウンしてます…ダウン
ほぼ寝てるかソファに座っている。
室内の移動や着替えなど日常動作で
グッタリ…汗
料理や洗濯など家事もほぼできなく
なっていますぐすん

前回の記事にも書きましたが
咳と狭窄音で日中の市民病院を受診し
咳止めの薬を変えてもらって
様子をみてましたが…

実はこの三連休も
呼吸苦が強く、また何よりも見た目ハッ
顔の浮腫みがスゴイアセアセ!!
人相が変わってしまうくらい
瞼まで腫れあがったようになり
本人も視野が狭いのでビックリびっくり

連休明けには県立がんセンターで
放射線治療がはじまるのですが…
どうしたものかショックと電話で相談し
やはり近くの市民病院へ行ってくださいと
なった次第です。

市民病院の救急外来では内科医師の診察で
呼吸苦と狭窄音そして浮腫みから
心不全と肺水腫がないかを
CT撮影、血液検査などでチェック。
1番の心配は取り除かれましたが
呼吸苦と浮腫みは最後の抗がん剤から
間が空いてる事からやはり腫瘍の進展があり
上大静脈を圧迫している事から、
タイトルの上大静脈症候群という状態と
説明がありました。

しかし血中酸素濃度はそんなに悪くなく
咳さえ落ち着けばなんとか保てる様子。
やはり放射線治療のスタートを待つ
ここでは結局 処置も薬も無しで帰宅🏡
(病棟の呼吸器内科医にも確認の上です)

こうして帰宅したのですが…
市民病院内では息苦しさで歩くのも難しく
車椅子♿️使用になりました。
自宅で部屋の移動くらいなら歩けますが
駐車場から広い院内はもう無理と
救急に連れて行ってくれた弟が判断。
母本人は少し抵抗したそうで
ムキー「こんなの(使ったら)病人になっちゃう」
プンプン「立派に病人です」と弟
このやり取りもすぐに強い咳込みでかき消え
あえなく乗車ショボーンガーン

しかし唯一 母が元気になった瞬間があって
抗がん剤治療で入院中に出会った研修医で
呼吸器内科に勉強しに来た先生が
この時の救急外来にいらっしゃり
偶然にも再会できた事!
若い先生って事で勝手にファンだったのと
入院中 母の愚痴を聞いてくれたそうで、
そんな事から
お願い「(研修医)〇〇先生の顔見て元気でた」
ならばあと1日自宅で頑張ります、と宣言。

こうして、なんとか帰宅し
週明けて23日の月曜、やっと!!!
県がんセンターでの治療がスタート!
2日目に当たる今日は私が送迎担当🚙
してきました。

思えば無治療で2ヶ月弱
市民病院で最後にした抗がん剤投与が
1月末だったので…。
市民病院の放射線科と
県立がんセンターの放射線科で
意見が反対だった為
セカンドオピニオンのち県立がんセンター
に移って治療するというやり取りがあり。
治療の準備の期間とはいえ…
時間が空いてしまった事が悔やまれるしょんぼり

この一週間で思うように食事がとれず
息苦しさで身体が思うように効かない
ショボーン ツライ…汗

頑張ろう、
いまは毎日の放射線治療で良くなるように
階段を一歩一歩登っていくしかない、と
励ましました。


明日は放射線治療の他に
医師との面談も入っています。
現在の悩みの呼吸苦と食欲減なことぐすん
弟が付き添いで相談してきます。

先程弟にLINEで今日の報告と
明日の相談内容を送りました。

また長い歩行が難しいので
母が途中で休めるよう家の中の
あちこちに小さな椅子を配置しました。
台所に洗面所、玄関を出たところにも。


食事も口に入るもので良いから、
ひと口ふた口で良いから、と
好物のぶどうパンに豚汁を作って
差し入れました。

どうか良くなりますうに。