イチローの輝かしさだけで、生きていくという訳にはいかない訳で。
新薬が開発されたという希望だけで、未来という時代を捉える訳にもいかない。
そんなものは個々の人生の中では実は脇役に過ぎない。
当たり前のことだけれども、世の中には色々な人がいて、色々な価値観や問題、悩みを持って日々を塗りつぶす。自ら全てを終わりにする人も出てくる。
「なぜ」
「どうすれば」
という疑問がつきまとう。そこでは正論は何の救いにもならない。
以前、知り合いの女性が、父親が作った借金のせいで苦労していると、相談してきたことがある。
何もしてやれないのだけれども。
すると同席していたもう一人の人がその人を叱りだした。
「そんな借金取りなんかと話しをしてはダメだ。取り立てに来たら、弁護士を通してでないと一切話しはしないと突っぱねないでどうする? それでも大人ですか?」
と・・・。
なるほど、正論なのかもしれない。
でも、ちょっと待てよと思う。ヤクザのような借金取りが来て、そんなことは中々普通の人は考えられないだろう。ましてや女性。そもそも借金取りを突っぱねるというのは、相当な強さではないか。だから彼女は苦しむし悩むのであって、そこで正論を言われたからといって、翌日から人が変わったように強くなれるという訳でもないだろう。
そういう弱さ、脆さ、危うさや、死、人生みたいなものを深い想像力で見つめるような舞台や映画というものを人は作らなければならないんだと僕は思う。
重苦しくしろ、という訳ではなくて。。。
セーターに空いた穴。
なんでそんな穴の空いたセーターを着ているの?
深い想像力でもってその穴を見つめれば、きっとその穴から人生の断片のようなものが垣間見えると思うのです。
というお話。
さようなら