誰しもが懐かしい「あの頃」を胸に秘めている。「あの頃」がどんな「頃」なのかは人それぞれだと思う。人それぞれだが、誰しもに言えるのは、そんな「あの頃」を懐かしむあまり「今」に当てはめようとすればするほどギクシャクするということだろう。
先日段ボールの中から1本のカセットテープが出てきた。
「98.08.11ゲネ」
と書いてある。あ、こんなものが! と思う。98年といえばバンドをやっていた時期で24歳。まだ何も始まっていない頃。ゲネと書いてあるからには、翌日にライブでも控えていたのかもしれない。
聴いてみたい・・・。
当然そう思う。どんな曲やってたんだろうか? 何よりもうこの世にはいない栄治(ボーカル)の生々しいボーカルや、きっと雑談のようなものも入っているに違いない・・・。
「ラジカセってどっかになかったっけ?」
と妻に聞くと、そんなものある訳ないそうだ。
確かに・・・そんなものはある訳がない。
時は過ぎたのだなぁ・・・と思う。もはやMDですらない。CD-Rですら、もうちょっと古い。昔はカセットテープに鉛筆を突っ込んでクルクルやっている奴をよく見かけたが、今そんな奴がいたら人間国宝になれる勢いだ。俺らが中学の頃はテレビの前にラジカセをスタンバイ、テレビで歌う玉置浩二を録音、黒柳哲子の解説うるせえ! しかもそんな時に限って「ご飯よ!」と母親がシャウト。そんな環境から音楽というものがスタートしている。
良い時代だった・・・
と思うが、冷静に考えると絶対に今の方が良い。
仕方ない・・・ラジカセがないのなら、プレイヤーを買うまでだ・・・、そう思ってビックカメラへ・・・。ところがいざビックカメラに行って思わず考え込んでしまった。
今さらこんなテープを聴いてどうすんだ? 聴いたところで栄治が生き返る訳でも、あの頃がよみがえる訳でもないじゃないか・・・。これを聴くのはまだまだ先で良い。振りかえるくらいしかやることがなくなったら、その時はまっさきにプレイヤーをゲットして聴いたら良いじゃないか・・・と。だって俺はまだ生きている。このバンドの他のメンバーにしたって今では子供がいたり、それぞれだ。みんな生きてる。たとえ不満だらけの日常で社会のネジだろうが、まだ生きてるし、僅かだろうが可能性だってある。あの頃という幻想。あの頃が良かったのはそれが「あの頃」だったからだ。今にそれを取り戻そうとしたところで、それは確実にあの頃よりも寂れてくだらない「終わってる大人の風景」でしかない。失ったものは失ったままで良いし、死んだ奴は死んだままで良い。いつか自分だって死ぬ。
結局予定とは違うカメラをローンで衝動買いして帰宅した。
これから行ったこともない、駅で下りたこともない色々な街に行って、その風景を撮りまくりたい。と思ったからだ。こんなところにも無数の人生がある・・・なんて思いつつシャッターを押す。そして気が滅入る。素晴らしいじゃないか!
そんなことをすれば気が滅入るのは目に見えているのに、なぜか心は躍る。
家に帰るとカセットテープをまた段ボールに投げ入れる。いずれはその存在すらもきっと忘れる。そしていつかまた見つける。
その時にカセットテープを再生するか、また段ボールに投げ入れるかは「その時」になってみないと分からない。
それで良い。それこそが、大事な思い出というものだ。