雨傘の思い出 | マニンゲンメンバーのブログ

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なすすべなき劇団「マニンゲンプロジェクト」のマニンゲンメンバーが綴るブログです

今日、久しぶりに履歴書を送ってみました。絶賛ニート続行中。

こんばんは、麻希です。


午後から、とか。夕方から、とか。

急な雨が降るといつも思い出す記憶があります。


5歳だか6歳だかくらいの記憶。

その頃私は目蒲線(現在は目黒線か?)の蒲田の隣駅、矢口の渡しと言うところにあるディックピア多摩川と言うマンションに住んでいました。

一番の仲良しは一つ上の階に住むみほちゃん。

私とみほちゃんはその頃、日曜日の度に新しくできた多摩川沿いの図書館に足繁く通っていました。


その日も、いつもと同じようにお昼ご飯を食べてから多摩川沿いをおそらく子供の足で15分くらいの距離の図書館に行き、朗読を聞いたり、本を借りたりして家に帰るところでした。

図書館を出ると、さっきまで晴れていたのに空はどんよりと曇り、遠くの空は真っ暗になっていました。


子供心にもあぁ、雨降るだろうなと不安になるも、目一杯借りた本のせいで歩みは遅く、家がやたらと遠くて余計に不安が募りました。

すると向こう側から明らかにホームレスであろうというおじさんが。

足取りも変な感じ。服も靴も髪も何もかもボロボロで、小さい子供には恐怖すら感じる容貌のおじさんが一人で歩いてきました。

みほちゃんと二人、手をつなぎながらなるべくおじさんの遠くを通ろうと道の端を歩いていたら、おじさんが立ち止まって私達に話しかけてきました。

『傘、もってないんだろう、持って行きな』

差し出されたのはこれもボロボロで白く埃にまみれた黒い雨傘。


まだ雨も降っていなかったし、何よりそんな人に話しかけられたことが怖くて、二人してしきりに断りました。

でも、おじさんは有無を言わさぬ口調で

『すぐに雨が降ってきちゃうから、濡れたら困るし、風邪引いたら大変だから持っていけ』

と傘を無理やり押しつけるようにそのまま歩いて行ってしまいました。


強い口調に怖くなったこともあり、お礼もそこそこに傘を持たされて私達も反対方向へ歩き始めました。

かくして、土手べりの道を下りて、家までようやく半分と言うところで大粒の雨が降って来て、私達はこんなボロイ傘恥ずかしいなあと思いながらも、傘をさしてぬれずに家に到着したのでした。


天候が変わって雨が降るたびに思い出します。

あのおじさんは、濡れなかったのかな

家は近かったのかな

何もない方向へ歩いて行ったけど、家はあったのかな


ありがとうってちゃんと言えば良かったな・・・


濡れずに帰れたことは覚えていても、あの傘がどうなったのか、私が持って帰ったのか、みほちゃんが持って帰ったのか、全く思い出せません。

それどころか、その1年か2年後に家庭の事情で引っ越した時、みほちゃんに満足にお別れすら言えてなかったように思います・・・。一番仲良しだったのに。



数年後、中学受験を試みた時、休憩中に親と一緒にいたらある親子に話しかけられました。

みほちゃん親子でした。私と同じ教室の後ろの方にいたそうで、私を一目見た時にすぐわかったと。

その時は受験と言う異様な空気に飲まれて、思いで話すらできず、さらには受験にも失敗してショックも大きく、みほちゃんが合格したのかどうかも確認しませんでした。


あのとき、受験の失敗、成功に関わらず、再会できた時に連絡先(と言ってもあの頃は家電か手紙だったけど)

を交換しておけば良かったなと思います。

私が忘れていたのに、私を覚えていてくれるような素敵な人だったのに。


雨が降ると思いだす、2つの後悔の話。


そのせいか、急な雨が降って確実に濡れてしまっている人がいると、声をかけずにはいられません。

やっちゃいけないけれど、自転車&傘なので歩いている人よりも確実に濡れないから。

『傘、良かったら使って下さい』


今まで全敗してますけど。


でも、この先も見かけたらまたきっと声をかけると思います。

ちょっと勇気はいるけれど、あの時私達は確かに助けてもらったから。

ありがとうをちゃんと言えなかったせめてものお詫びに、誰かの雨をしのぎたいと思って声をかけてしまうのです。


そしてこのブログをみほちゃんがどこかで読んでくれたら良いなと、淡い期待を抱きながらセンチメンタルな気分で書いてみました。


おしまい。