炎天下ですくすくと大きくなったころ、いきなり冷やされたかとおもうと、人でごった返す浜辺に置かれ、右だ左だ前だ後ろだと声が響いたかとおもうと割られてしまい、塩をかけられて食べられてしまう。種は口にふくまれたかと思うと遠くに飛ばされる。皮は目や口の形に開けられ、ときにはカブトムシのエサにもなる。私は夏は大忙しなのだ。
日々、つれづれなるままに書いていきます。
日々、つれづれなるままに書いていきます。
炎天下ですくすくと大きくなったころ、いきなり冷やされたかとおもうと、人でごった返す浜辺に置かれ、右だ左だ前だ後ろだと声が響いたかとおもうと割られてしまい、塩をかけられて食べられてしまう。種は口にふくまれたかと思うと遠くに飛ばされる。皮は目や口の形に開けられ、ときにはカブトムシのエサにもなる。私は夏は大忙しなのだ。
木の上に、うっすらと紫がかった茶色い、まるでタマゴを引きのばしたようなものが見える。小学生にとってそれがなっている高さは、一瞬で「ムリ!」と思わせる。が、あきらめなかった小学生は、これまでの数年間の人生経験を総動員して、いかにそのおいしいアケビを採るのかに集中する。場合によっては1時間位アケビと格闘することになるけれど、いざとって食べると、甘いんだけど種が多くて食べづらい。アケビを採ることにすべてのエネルギーを使い果たした小学生にとって、実際に食べることはただの確認行為にすぎない。
京都の日本海側のキレイな海岸の近くで生れたものとして、ハマグリは、足の指をぐいぐいと海中の砂をかき分けながら見つけるものだった。ハマグリをお金を出して買うものだと気がついたのは、東京で暮らしはじめたことだろうか。
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
芭蕉の句である。そのころの子ども達もやはり足でぐりぐりと海中の砂をかき分けてハマグリを探したのだろうか?