釜山旅行記③ー再掲

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さて、梵魚寺で三好達治の詩集を開いたと書きました。そしたらブロガーさんから「随分とロマンチストじゃないのよっ」とのご指摘を受けました。


すみません、脚色しました。(笑)間違っても詩集なんてもんを持ち歩く男ではありません。(笑)


事実を書けば、からくにの古刹の庇の向こうに紅葉に色づく異国の山を臨み、そういえば三好達治のなんとやらという詩があったなぁと思い出しただけです。


メモに「三好達治」と走り書きし、昨日、記事にする際に本棚から探し出して、その詩を書いたという次第です。ごめんちゃい。(笑)


梵魚寺駅から地下鉄で釜山の中心部に戻って、チャガルチ市場、乾物市場をぶらつきました。


活気に溢れた店がならび、おばちゃん達が元気に働いておりました。


乾物市場は韓国のり、さきいかなど。大きなさきいかの袋を指差し、いくらか尋ねたら10,000ウオンとのこと。約1,100円です。買うと身振りで示したら、袋をあけて味見をさせてくれました。「なとり」の珍味より美味しいくらい。(笑)10,000ウオンを渡して、ビールのおつまみをゲット。




市場



さて、さらにゆっくりと歩いて龍頭山公園を目指しました。


途中、街頭で靴磨を磨いてもらっている小太りのどうみても堅気でない兄ちゃんとその取り巻き2人連れを発見。


危ないものには近づかないことをモットーにしているので横によけて脇を通りすぎようとしたら、いきなり「オス」「オス」「オス」・・・のような奇声が。びっくりして振り返ると舎弟のような若者達が頭を直角に何度も振り下ろして挨拶をしておりました。ひょえ~。どんな世界も厳しいっす。(笑)


道に迷いながら、やっと龍頭山公園に着きました。APEC開催を記念して韓国の伝統芸能、工芸を紹介するイベントが開かれていました。


文禄、慶長の役で豊臣秀吉軍を破った李舜臣将軍の像が釜山の街を守っております。


いろいろなブースを廻っているうちに手作りの熊の携帯ストラップが目につきました。


かみさんの土産にしようと思って値段を聞くとわからない様子。手まねでどうにか5,000ウオンということが判りました。10,000ウオンを出すとお釣がないようで、2人いた女の子のうち、1人の子がよそのブースに両替に行きました。


何回か戻ってきては「だめだったぁ」みたいなこと(たぶん(笑))を韓国語で言っております。あんまり、一生懸命なので、他のデザインのストラップを買う事にしました。「ありがとう」と日本語で言ってくれたので、私も「カムサハムニダ」と言いました。ついでに、ボランティアだという2人の写真をパチリ。笑顔で応じてくれた韓国美女2人に感謝です。(笑)







それからまた、地下鉄で温泉場に戻って東莱温泉が誇る東洋一の温泉施設「虚心庁」に行きました。う~ん、3,000人が同時に入浴可能だそうだが、別に取り立てて感動するような施設でもない。東洋一はたぶんないだろうな。行ったことはないが、日本にはスパリゾート・ハワイアンがあるからね。(笑)











一風呂浴びて、フロントのお兄ちゃんにプルコギを食べたいので、どこか紹介してほしい旨を言ったら、歩いて3分ほどの店を紹介していただきました。


ついて、喋った言葉は「プルコギ」、一緒に指で2を示します。何か、韓国語で聞いてくるので、ただひたすら「プルコギ」を繰り返します。


1人かと聞かれた気がしたので、大きく頷きます。写真はプルコギを鋏で店のおばちゃんが切ってくれているところ。ビールは「Hite」。これがドライな味わいで美味しかったです。ここでもサンチュ、キムチ、サラダなどが一緒に出てまいります。ジューシーなプルコギをハイトビールで流し込み、焼肉を堪能させていただきました。これで15,000ウオン。「カムサハムニダ。」







帰って、また温泉に入りました。湯当たりしそう。(笑)


最終日は8時に起きて、一風呂あびてチェックアウト。地下鉄で西面まで行き、ロッテ百貨店へ。なぜか、ここでもロッテ優勝記念せ-ルをやっておりました。すごいぞ、マリーンズ。


かみさんのご機嫌直しの土産を購入し、空港に向かいました。残った紙幣を両替すると3,500円ほど戻ってきました。使ったお金が21,500円。他にJALに空港利用税他を6,000円、あわせても3万円に届きません。免税店でかみさんのご機嫌直しに使ったお金のほうが高いくらい。(笑)


釜山の人たちの情に触れ、異国の地の紅葉を見ることができました。今から思うと楽しい旅でした。



プルコギ





(足湯なんていうのもあります。草津の真似?)


足湯


ボランティア




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釜山旅行記②ー再掲

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さて、釜山旅行の続きです。


2日目の朝は6時に目が覚め、部屋の風呂(温泉)にゆっくりと入って、その日のスケジュールを考えました。


ホテルから歩いて10分くらいのところに金剛山、金剛公園という場所があって、ロープウエイで山頂まで行けるようです。それから地下鉄で3つほど先にある梵魚寺という古刹に行く。・・・という計画を立てました。


昨日とうって変わって秋晴れです。暖かいくらいかと思いましたが、冷え込んでおりました。金剛公園をぶらぶらと歩くと木立の中、年配の女性の集団が「エイ、エイ・・・」と気迫のこもった大声を上げて、体操をしておりました。何やら軍隊のような。



おばちゃん1




その横ではこれまた3人ほどの女性がフラフープをしておりました。



おばちゃん2




何なんだ、この国は。(笑)


写真を撮ると国家機密を撮影したかどで逮捕されそうな気もしましたが、勇気を出して写真をパチリ。ソソクサとその場をあとにしてロープウエイ乗り場へ。


15分くらい待たないと朝1番のロープウエイが動かないとのこと。待合室で山頂の土産物やで働くおばちゃん達と一緒にTVを見ながら待つことに。


ロープウエイから見る景色はすばらしかったです。




ロープウエイ




山頂をぷらぷらと歩いて、異国の山の秋を楽しみました。ゴロゴロした岩石がある場所に行ってみると、写真のような光景が。



こわい岩




唖然。何かちょっと強い台風でも吹けば転げ落ちそうな。(笑)


岩の向こうに行ってみました。どこまでも無謀なオヤジです。(笑)


釜山の町並みが広がり、絶景でした。写真ではうまく取れませんでした。見たい方は現地に行って下さい。


ロープウエイを降り、地下鉄に乗って、梵魚寺駅へ。


更にバスに乗り継いで梵魚寺に着きました。古刹というのでしょうか。中学生くらいの子供たちが社会科の授業か何かで大勢、来ておりました。


紅葉が美しかった。からくにの地で眺める紅葉、オヤジの痛んだ心の中に沁みていくのでありました。




秋2



わざわざ、ここで読もうと持ってきた三好達治の詩集をおもむろに開きます。(ケ、キザだねぇ。(笑))




秋


あわれ花びらながれ

おみなごに花びらながれ

おみなごしめやかに語らいあゆみ

うららかの跫(あし)音 空にながれ

おりふしに瞳をあげて

(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり

み寺の甍(いらか)みどりにうるおい

(ひさし)々に

風鐸(ふうたく)のすがたしずかなれば

ひとりなる

わが身の影をあゆまする甃(いし)のうえ


え、これって秋じゃなくて、春の詩じゃないですか。

Σ( ̄ロ ̄ll)ガーン。
オヤジがいくら気取ってもダメってことね。(笑)


とここまで書いて、また疲れました。続きはまた明日ということで。(笑)


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釜山旅行記①ー再掲

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愛読しているブログの店主、駆け抜けるおばさんさん(ややこしい。)がブラバンをやっている中1のお嬢さんと韓国母娘旅を予約されたらしいので私も7年前に釜山を旅行した旅行記を再掲。ソウルも行っているのだが旅行記らしい旅行記がないので釜山旅行記を掲載する。オンドル部屋に泊まっての貧乏旅行で参考になるまいが自分としてはおもしろい旅行だった。


******************************


お約束の釜山旅行記です。JALのマイレージ12,000マイルで特典航空券と交換し、11月11日(金)成田-釜山、13日(日)釜山-成田を予約しました。


で、11日(金)当日、釜山のイミグレーションはAPEC関係者、韓国人、外人に分かれておりました。APEC関係者も多かったなぁ。垂れ幕もいっぱい懸かっておりました。なんでも良いけど、こんなもん、俺が旅行する時にやる必要ないだろう!(笑)


入国審査を終え、最初に観光案内のブースに行きました。


2日前に釜山の国際ホテルというところにインターネットで予約を入れたのですが確認のメールが届いていないのです。


日本語を話せる係の方に事情を説明し、ホテルに電話をしてもらったところ、予約のメールはついているがシングルの部屋がないとのこと。


ツインだと1泊11,000ウオンになるというので、キャンセルしてもらいました。トホホ。


ホテルを探している旨を係の方に言い、予算は1泊5,000ウオン、場所は東莱温泉でお願いしました。


厚いガイドブックのような本を出し、電話をしてくれました。1泊4,000ウオンとのことです。


とにかく、泊まる場所ができたことにホッとしました。


307番のバスに乗って、※☆?病院前で地下鉄に乗り換えろとのこと。そしてホテルの名前と電話番号を私の持っていた地図にメモしてくれました。






空港の外に出ると雨で、肌寒い。5分ほど待つと307番のバスが来ました。


運転手さんに※☆?病院前と何度も言うのですが、判らない様子です。


とにかくすぐ後の席にすわって、地図指差し作戦開始。何度目かの信号待ちでやっと判ったようです。ホッ。(笑)


普通のバスなので、いろいろなところを廻って※☆?病院前に着いたのは空港出発から約1時間後。こんなのだったら観光案内所の人の言うことを聞かずに高速バスに乗ったほうがなんぼ良かったか・・・。


後の祭りとはこのこと。まぁ、気長に行きましょうといつものオヤジ的発想で、誤魔化します。(笑)

地下鉄も東莱という駅は地上駅で、最初はどこかよく判りませんでした。


その駅から2つ目の温泉場というそのままのネーミングの駅でおりてホテルを探します。


案内所の方が書いてくれたメモを見せながら探すのですが、何を言っているか、チンプンカンプンだし・・・(笑)

いろいろな人に道を教わりながら、どうにか側まで来ました。


最後は50才前くらいの屈強な体格の男性がわざわざホテルの前まで雨の中を同道して案内してくれました。「カムサハムニダ」。


靖国問題等、政治レベルでは和気藹々という雰囲気ではありませんが、草の根の部分で親切に触れて本当に有難かったです。


フロントにつくと「○○サン デスカ? ヘヤハ ベッド ト オンドル ドッチニ シマスカ」とのこと。


ベッドにしようかとも思いましたが、せっかくですので「オンドル」をお願いしました。日本で言えば和室ですね。


フロントの女性はすこし意外そうな顔をしましたが、7階のキーをくれました。宿泊代2泊8,000ウオン。


温泉について尋ねるとホテルの2階が大浴場になっているとのことでした。時刻は4時を廻っておりました。


疲れたので、カバンを部屋に置いて、早速大浴場へ。日本の日帰り温泉施設のような感じでしたね。宿泊客の他に外来者も入浴可能のようです。


日本の日帰り温泉と基本的は大差ありませんでしたが、お湯が熱かったことと、アカスリコーナーで裸(スッポンポン)の男が裸(スッポンポン)の身体を熱心にアカスリタオルで擦っておりました。


一瞬目が点になり、すぐにそむけてしまいました。(笑)


別にフ~なんて奇声を上げながら擦っていたわけでもなく、当人同士は別に不自然でもなんでもない様子でした。習慣の違いでしょうね。


夜のメシを食べに町に出ました。


ぶらぶらと歩いていると、開放的な造りで、机も椅子も木製のしゃれた店がありました。


50才くらいと30才くらいの女性が別々に麺類を食べていました。


中に入ると女将さんのような人が出てきたので、「プルコギ」と言いましたが無いようで、いろいろ韓国語で話し掛けてきます。


イルボン(日本人)だと伝えると携帯電話を取り出し、どこへやら電話を掛け始めました。その間、手で待っていろとの合図。


何やら一言、二言しゃべって、携帯電話を渡してくれました。相手は日本語の話せる韓国の方のようで、辛いソーメンのようなものが中心でプルコギはないとのこと。似た豚肉はあるというのでそれをお願いいたしました。


携帯電話を女将さんに渡すと、大きく頷いて席に案内してくれました。

待つこと20分、茹でた豚肉が20切れくらいと生野菜(サンチェというのでしょうか)、キムチ、生ニンニクのスライス、コチジャン(辛味噌?)、スープが出てきました。


器は金属(銀または錫でしょうか)で、箸、スプーンも金属です。


生野菜に豚肉を挟んで、適当にコチジャンなどを塗って食べました。美味しかったです。キムチはもともと好きでない上に、最近のニュースでほとんど手をつけず。(笑)


スープの器を手で持ってしまい、あわてて下に置きました。


韓国では手で持つのはマナー違反と何かで読んだ記憶があったからです。1人で食べるには多いくらいの量でした。


キムチと生ニンニクのスライスには箸をつけずに残しました。10,000ウオン、約1,000円は安いです。


数少ない知っている韓国語「カムサハムニダ」と言うと、携帯電話を取り出し、また差し出してくれました。


「味はどうでした。」「とても美味しかったです。でも、キムチが多くて残してしまいました。ごめんなさいと伝えて下さい。」


携帯電話を女将さんに渡すと何事か話して、笑顔で「アンニョンハセヨ」と言っていただきました。本当にありがとうございます。


ホテルまで案内してくれた男の人といい、お店の女将さんといい親切な方が多かったです。異国の地で知る情け・・・。これもまた旅の醍醐味のような。



屋台


(屋台おでんのようなもの)




金剛山


(翌朝の金剛山 麓に東莱温泉はある)



ここまで書いて疲れました。つづきはまた今度とということで。












雨の停留所


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沖縄民謡酒場騒動記②

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さてさて沖縄民謡酒場騒動記①(民謡酒場でお店の方3人に客1人、精神的軟禁状態に置かれた話)の続きです。


8時過ぎにお店に入って、海で溺れて意識がない時、沖縄の人はどうやって助けるか、深夜3時に電信柱とお話する人、ベトナム戦争当時、死を覚悟した米兵はお金を湯水のように使った事、その頃2~3年で1億円(現在価値)くらい儲かった事・・・・・・などなどお話を伺い夜は更けていきましたが、10時過ぎ福井おじさんは意を決したようにタバコをもみ消すと「じゃ、そろそろ始めましょうか。」と言いステージに上がりました。PTA会計ねぇさんも一緒に上がり太鼓の前に陣取ります。


「本日は民謡酒場『西武門(ニッシンジョー)』にお越しいただきありがとうございます。・・・まずは沖縄の代表的民謡『安里屋ユンタ』をお聞きいただきます。・・・」と始まりましたが、客は私1人。一生懸命に手拍子をします。NOVAのマンツーマン・レッスンでもこれほど真剣にはならないだろうよ。(笑)

福井おじさんはエレキ三線のようなものをかき鳴らし、PTA会計ねぇさんはたんたんと太鼓を叩きます。あまりアーティストタイプではない。私と同じ事務系の方とお見受けいたします。(笑)


2曲ほどお歌いになった後、「それでは、せっかく沖縄にいらっしゃったのですから、お客様にも一緒に歌っていただきましょう。」って、客は私一人だろう!(笑)軟禁状態からガス室に強制連行です。(笑)

歌を歌うのが大の苦手で、飲み屋に行っても絶対に歌わないのでネェちゃんから鼻白まれることが多いのですが、断れる状態でないことはいくら鈍感な私でも判ります。(笑)「涙そうそう」、「童神」、「十九の春」の三曲を熱唱(?)いたしました。歌い終わったあとに福井おじさんから「なかなかお上手でした。」の一言が。うーん、フォローになっていない。傷口に塩を塗るとはこのことか!(笑)そのあと、おじさんが2曲、PTA会計ねぇさんが1曲、沖縄の歌を歌ってステージ終了。手が痛くなるほど拍手する私。気疲れで頭が朦朧とする。この店、チャージがないと表に書いてあったので、おじさん、ママさん、ねぇさんに飲み物を勧めます。なんで私がこの店の原価計算までしなければいけないの、とも思いますが、そこはA型人間の悲しい性です。それから30分ほど談笑した頃、地元の中年男女4人が入ってまいりました。

ほっとする私。おじさんは「ここの店は午前3時までやっているから楽しんでいってねぇ。」と言って旧知の4人組のテーブルに席を移しました。


すかさずPTA会計ねぇさんにお勘定をお願いする私。小さな紙に書かれた金額は3,000円。なんか、申し訳ないような金額です。(笑)代金を払っておじさん、ママさんにお礼を言って午後12時前に『西武門』を後にしました。ホテルに帰るとドッと疲れが出て、風呂に入って爆睡。(笑)


で、翌日の夜は国際通りの民謡酒場『きらら』に行きました。こちらは観光客も多く気楽でした。写真を載せます。

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でも、『西武門』の緊張感も今から思うとかけがいのないものですね。(笑)

沖縄民謡酒場騒動記①

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酒が飲めなくなって大阪のジャンジャン横丁、東京の赤羽と過去の呑み記事を読んで往時を懐かしんでいるが、今日は沖縄の民謡酒場に行った時の思い出話。時間があったら寄っていってください。


・・・ホテルのフロントの方に伺って地元の民謡酒場に行く事にしました。去年、石垣島の民謡酒場に行って面白かったからです。8時になるのを待って、時折、スコールのような雨が降る中、旭橋近くの民謡酒場「西武門」(ニッシンジョーと読みます。堤財閥とは関係ないとの事。(笑))に行きました。

店につくとママさんがカウンターを掃除していて、あと10分後くらいに開くとの事。近くの飲み屋街を一回りして、伺うことにしました。居酒屋、スナックなどが並んでいますが、時間が早いのでしょうかあまり人通りはありません。


さて、「西武門」に戻ってみると奥にネクタイを締めたサラリーマン風のおじさん(50代後半?)が菊乃露(泡盛)のグラスを片手に飲んでいました。ひとつ席をあけてカウンターに座ろうとすると、近くにお出でというので素直に従うことにして、オリオンビールの瓶を頼みました。松尾和子を沖縄風にアレンジしたようなママさん(50代半ば?)にグラスにビールを注いでいただき、おじさんと乾杯。お店にはもうお一人、PTAの会計担当のような眼鏡をかけた女性(40代後半?)がいらっしゃいます。女性お二人は黒い服装です。葬式の帰りかと間違えてしまいました。(笑)苦菜と豆腐の和え物、ジーマミー豆腐のお通しをいただきながら、台風15号の事、選挙の事、年金問題など世間話をおじさん、ママさん、PTA会計ねえさんとお話しながら約30分。客はおじさんと私のみです。


ステージは8時開始の筈ですが、誰かが出てくる様子なし。まぁ、客も少ないし仕方がない。おじさんがどこから来たとか、いろいろ質問してきますので、かみさんが沖縄の浦添の出身だとか、身の上話などしてだんだん盛り上がって参りました。(笑)

「かみさんがねぇ、俺の顔みながら『はっさー、ないちゃーがぁーしーしてからさー』って言うんですよ。」(感嘆符、内地(本土)の人間の面つきして、小憎たらしい)、「ははは、俺も話さないと内地からの観光客と間違えられるのよ。だから、わざと方言で話すの。」とおじさん。よく、見るとネクタイが派手めで、金のカフスがお顔に似合わず商売人風。今年の4月に亡くなったお天気おじさん福井敏雄さんに似ております。

「これ食べてみて」と沖縄風松尾和子ママ。パパイヤとパイナップル。おじさんの家の庭で取れたものだそうです。そのうちにおじさんが席を立ちました。しばらくして戻ってくると、ん。ズボンと靴が白いものに変わっている・・・。もしや、おじさんもお店の人?ということは俺は「西武門」に軟禁状態。アウン・サン・スー・チー状態。お天気おじさんとPTA会計ねえさんが豹変、身包み剥がされ、泊港に浮かぶ水死体・・・。人間死ぬ前に一生が走馬灯のように浮かぶという。私の脳裏にもぜんぜん、良いことのなかった寂しい一生が流れだしました・・・(笑)。


つづく

再掲 ディープ大阪探訪記

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キンミヤ焼酎の記事が敬愛する久保はつじアニキだけに好評だったので調子に乗って、7年前、大阪のジャンジャン横丁を訪れた際の記事を再掲載します。


趣旨は串かつ屋のカウンターで呑んでいるようなのが自分の本来の姿。現実には諸般の事情で酒酌み交わすことのできないアニキとバーチャルで呑み交わしたいと思った次第です。あたかも串かつ屋で天地茂と中尾ミエの話題に興じる中年のおっちゃん達のように。




さて、大阪出張のついでに自費で1泊し、ディープ大阪を探訪しようという無謀な計画の顛末をご報告いたします。


まず、何年か前に坂田三吉の生涯を描いたNHKのTVドラマを見て、ぜひ1度通天閣に行ってみたいと思っておりました。ちなみにこのドラマは坂田三吉を間寛平、小春を竹下景子、ライバル関根名人を三浦友和が演じておりました。夫婦の情愛を描いて泣けるドラマでした。

そして今年7月だと思いますがNHKの「新日本紀行ふたたび」というドキュメンタリー番組を見て、通天閣、そして新世界のジャンジャン町を訪れてみたいという気持ちが高まりました。私は流行の物より寂れた物、忘れさられた物につよく引きつけられる傾向があり、その琴線に触れたようです。


ホテルは地下鉄日本橋駅にありましたので、シャワーを浴びて6時に部屋を出ました。隣駅の恵美須町で降りるとすぐに電飾に輝く通天閣を仰ぎ見ることができました。うーん、これこれ。これだけで感動してしまいました。(笑)


通天閣


通天閣周辺の商店街はやはり寂れているようで、何かひっそりと営業しているという感じです。餃子の王将がありました。創業地なのでしょうか。

坂田三吉を顕彰した「王将」の碑がありました。しばし、感慨深く碑文を読みました。


明日は東京に 出て行くからは なにがなんでも 勝たねばならぬ 空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が またもえる



ジャンジャン1


角の居酒屋のお姉さんにジャンジャン町への行き方を聞くと親切に教えてくれました。目の周りをマスカラ(っていうのかな)で塗りたくって日焼けサロン、茶髪系のお姉さんでしたが、人は見かけによらないもの、偏見を持った自分を深く反省しつつお礼を言ってジャンジャン町に向かいました。


まだ宵の口だったのですが、立ち飲みの串かつの店は常連さんでいっぱいです。しばらく歩いて「てんぐ」という比較的大きな店に席を見つけ入りました。

瓶ビールをたのんで、一息いれます。グラスになみなみとビールを注ぎ、一口飲んで食べ物の注文。串かつ2本、アスパラ2本、そうそう土手焼きも2本。まずはそんなところで。(笑)

味噌だれの土手焼きはすぐに出てまいりました。懐かしい味でした。


することもなしに壁を見ると「町は大阪、串かつはてんぐ」の色紙がありました。田辺聖子さんのものでした。ちょうど串かつを揚げる調理場の前だったんですが、店の人の手際の良いこと。感心しました。


メリケン粉を溶いた生地に具をつけて、パン粉の上で転がして、油で揚げる。その一連の作業が流れるようで職人の技を見る思いでした。30代後半から40代前半でしょうか、油で揚げる間にダボシャツの胸ポケットからセブン・スターを取り出し、箱をとんとんと叩いて1本抜き出しておいしそうにタバコを一口吸っておりました。タバコが嫌いで料理しながらタバコなんてもっての外という私ですが、なぜか嫌な気分がしなかった。一口吸って、脇の灰皿にタバコを置いて真剣な眼差しで串かつを揚げる大将。決まっております。脱帽。

「熱いから気をつけてな。」と出された串かつの美味いこと。


左隣の席では50代前半くらいのおっちゃん2人が何やら熱弁を振るっておりました。きれぎれの会話を書き出すと「天知茂がな、・・・そう中尾ミエちゃんがな・・・」。うーん、ここは何時代なのだ。(笑)30年ほどタイム・スリップしたような気分になってきました。凝り固まった心がゆるゆるとほぐれて、懐かしい人情の世界に流れてゆくような、そんな錯覚を覚えました。


玉葱とたまごの串あげを1本ずつ頼んで、瓶ビールを開け、束の間のタイム・スリップ体験は終わりました。お代は1,550円。毎日でも通いたい。(笑)






「新日本紀行ふたたび」で取り上げていた将棋クラブ「三桂クラブ」の前にはガラス窓一つ隔てたお客の勝負を熱心に見つめる通行人の姿がありました。TVに出ていた経営者の方も同じ顔で(当たり前か(笑))で店内に目配りをしておりました。(写真は「王将」という別のクラブ)







私がもっと酒を飲める体質なら、更にジャンジャン町の良さを味わうことができたのでしょうが、修行が足りなかった。でも個人的にはすごく満足いたしました。

日本橋に戻って道頓堀を歩いて「づぼらや」という店でふぐ膳3,500円を食べ、宗右衛門町というところへ。平和勝次の宗右衛門町ブルースですね。


きっと来てねと 泣いていた かわいあの娘は うぶなのか なぜに泣かすか 宗右衛門町よ さよならさよなら 又来る日まで 涙をふいて さようなら

街のネオンも 消えてゆく うぶなあの娘も 消えてゆく なぜかさびしい 宗右衛門町よ さよならさよなら うしろ姿も 夜霧にぬれて さみしそう


で、現在の宗右衛門町は新宿歌舞伎町みたいな町でした。クラブのママさん風の女性、キャバクラ嬢、茶髪に背広を着崩したお兄さん、マッサージを勧める中国人女性。猥雑で文化も人情も何も感じられなかった。一回りしてすぐにホテルに戻りました。明日は奈良の大仏編を更新する予定です。再見。


将棋クラブ


串かつてんぐ





さて、大阪・神戸旅行記の最終回(笑)、飛田新地「鯛よし百番」 を目指した話です。夕闇せまる頃、万博公園を後にして千里中央駅から御堂筋線に乗って「動物園前」へ。しかし、行ったり来たりでほんま、疲れまっせ。(笑)一応、ぐるなびの地図はプリントアウトして持ってきていたのですが、位置関係がわからないのでいろんな人に聞きながら「鯛よし百番」を目指しました。一見してからにその筋の方と思われる方にも道を尋ねましたが、「どこやて、鯛よし百番?知らんなぁ~」と結構親切に答えてくれました。(笑)煙草屋のおばちゃんに聞いて、やっと方角がわかりました。言われるままに歩いていくと暗い道に白い看板が軒を並べておりました。3、4メートルの間口の店の真ん中に若い女性が座布団に座って、その隣にご年配の女性が座っております。前を通るとご年配の女性に「お兄ちゃん、お兄ちゃんたら・・・」と声を掛けられました。「お兄ちゃん」と呼ばれたのは30年ぶりかもしれません。(笑)永井荷風の「墨東綺譚」の世界に迷いこんだような異空間が広がっておりました。この空間を情緒と考えるか、嫌悪すべきものと捉えるかは人さまざまだと思いますので、詳しくは書きません。興味のある方は実際に足を運んでみて下さい。


で、ぶらぶらと異空間を歩いているうちに「鯛よし百番」を見つけました。年代を感じさせる重厚な店構え。う~ん、入ってみたい。しかし予約客以外お断りの札を見て、とぼとぼと今来た道を戻りました。で、「三丁目百番 」へ。こちらはごくごく普通の居酒屋です。どて焼きとおでん、麦焼酎をいただきました。特に情緒は感じられませんでした。(笑)で、お店の方に帰り道を教えてもらって、ジャンジャン横丁の串揚げ屋「てんぐ」に寄って、やっとのことホテルへの家路につきました。


で、「鯛よし百番」については商売繁盛お鮨やさんの女将さん、由美さん がブログ記事を書いていただけるということでバトンをお渡ししたいと思います。では由美さん、よろしくお願いいたします。

(^o^)丿

太陽の塔

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さて、大阪・神戸旅行記の続きです。中止が決定した途端にさっさと甲子園を後にして阪神電車で三宮を目指しました。三宮花時計前から旧居留地・大丸前で降りて南京町に行きました。で、大丸の地下で蓬莱551の肉まんを1個頂きました。有名な店らしく新大阪にも店がありました。あん(肉)がシュウマイのあんのようです。雨が強かったので元町のアーケードを通って、途中から南京町の通りへと曲がりました。狭い通りに大勢の観光客、地元の人(?)が溢れておりました。ふかひれ入りチャイニーズ・バーガー(!?)やら海老団子の串刺し、ラーメンなど歩き回って、うまそうだと思えば食べて、童心に返った感じで楽しみました。(笑)味はそれほどでも・・・というところでしょうか。(笑)ラーメンは通常の量の3分の1くらい。ここに来る人はいろいろ食べ歩きたいのだから、それで良いのですね。工夫のあとが見られ、オヤジは関心することシキリ、馬鹿です。(笑)

メリケン公園、ハーバーランドの方をぶらぶら歩いて市営地下鉄に乗ってみなと元町前に戻りました。元町をあてなく歩いて、骨董品屋3軒を発見、のぞいてみました。それから鞄が好きなので鞄や。帆布と革を使った、シンプルなデザインのショルダーバッグがあったけど、結局、荷物になるので購入断念。コーヒーショップに入って、どうでもいいことを思い巡らしながら(笑)太陽の塔をまだ見ていないことに気付き急遽、万博公園に行く事を決定しました。行き当たりばったりのきまま旅です。時すでに3時半を廻っていたと思います。阪神電車に乗って梅田へ。梅田から御堂筋線に乗り換えて千里中央駅へ。そこからモノレールに乗り換えて万博公園前へ。ふー、疲れた・・・(笑)でも、モノレールの窓から太陽の塔が見えた時は感動でした。


以前、紹介した重松清の「トワイライト」は太陽の塔が主人公の「すばらしかった少年時代」の象徴として描かれています。大阪万博があったのは私が小学校6年の時です。高度成長の真っ只中で、GNPがどれだけ成長したとか、世界で何番目になったとか右肩上がりの景気の良い話ばかり。アメリカのアポロ計画、アームストロング船長の月面着陸など子供心に人類の未来は明るく輝いてみえました。一方で公害やら冷戦、核の恐怖なんていう問題もありましたが、今も昔も単細胞なので、三波春夫の作り笑顔にだまされるように明るい未来を信じておりました。


万博公園の太陽の塔の前に立って、感無量です。


その後の日本が辿り、至った現実は決して薔薇色でなく、表面は取り繕っているもののいろんな問題を抱えて破綻、破滅する寸前になっている。まさしく「トワイライト」の描く世界ですが、それでも希望を捨てなければ「再生」がある。そう信じることができるほど、岡本太郎の「太陽の塔」は圧倒的なパワーを私に与えてくれました。来て良かったです。


で、束の間の高揚感を抱え、公園内の日本庭園の一部を見てまわり(笑)、飛田新地「鯛よし百番」に向かうことにしました。どんな旅なんや、勇猛果敢支離滅裂とはこの事だろうか・・・(笑)

長くなりましたので、この続きはまた次回。再見。

大阪小旅行の話の続きです。4月2日(日)、8時頃に目を覚まして朝風呂に入りながら、その日の旅程について考えました。TVの天気予報は40~70%の確率で雨。雨の京都もいいなぁと思ったのですが、選抜高校野球を甲子園球場に見に行くプランも捨てがたい。まだ一度も高校野球を見たことがないので結局、甲子園に行く事にしました。日本橋の駅から野田阪神駅へ行き、阪神電鉄に乗り換えて甲子園前へ。電車には革のスポーツ・シューズにエナメルバッグを持った「野球にはうるさいよ」系のオヤジがうようよおりました。(笑)私の隣に座ったおっさん達も岐阜城北高校の応援キャップを被って、内輪話に盛り上がっておりました。甲子園につくとみんな降りるので、素直にその流れについて行きました。


蔦が絡まる甲子園球場、これです。これ。(笑)横浜高校のアルプス応援席のチケット(500円)を買って入場。背中に「YOKOHAMA」とロゴの入った白のウインドブレーカーを着た父兄、OB、その他関係者が大勢陣取っておりました。よそ者はひとがまばらな上の方に陣取ることにしました。まだ顔に幼さが残る学生服のお兄ちゃん(たぶん、1年坊だろう)が「応援の練習をしまぁ~す」なんて嗄れた声をあげております。今までの連戦で声が潰れちゃったんだろうなぁ。OBや先生が側を通るたび、「ウォッス」と挨拶。厳しい上下関係だす。


横浜高校、岐阜城北高校の先発メンバーが発表されて、試合開始15分前、急に雨が激しく降り始めてマウンドがシートで覆われました。そして「雨のため試合開始を遅らす」とのアナウンス。10分経過、一向に雨は止む気配なし。そうした中、さっきのお兄ちゃんは雨をよけるでもなく、学生服を濡らしながら、応援席を駆け回って準備しておりました。その顔になんらの迷いなし。真摯に縁の下の力持ちの自分の役目に取り組むお兄ちゃんの姿に涙が流れてしまいました。訳わからんだろうけど、年取ると涙脆くなるんよ。


応援のブラスバンドも一旦引き上げ、応援団も通路に避難。主催者、審判団、両校監督が協議の結果、試合順延が決定しました。結局、高校野球は見ることできず。でも感動を味わうことができたので良しとしよう。(笑)これから京都はいくらなんでも無理なので神戸三宮から南京町を目指すことにしました。その話はまた明日。ひっぱるねぇ・・・。(笑)再見。