こんにちは、樋口和代(ひぐち かずよ)です。
今までの人生を過ごす中で、
いろいろな経験から思い込みを頑なにして、
本来の自分らしさを
心の奥底に埋もれさせてきてしまった。
今、「本来の自分らしさって?」
という考えに出会ったということは、
「そろそろ取り戻して、ラクに生きて行こう」
ってことだよ。
そう伝えられたとき、
まず最初に思ったことは
「今まで、無駄に生きてきたってこと?」
という絶望感でした。
自分が生きてきた中で、
大切にしてきたこと。
向上するために努力する、とか
常識的な行動をとる、とか
社会正義に反しない、とか。
このような
自分としては生きる上で
絶対的に正しいと信じてきたことが
自分だけの勝手な思い込みだったなんて。
本来の自分らしさを押しつぶしてきたなんて、
いったい何のために生きてきたのか。
今まで40年、
人生を遠回りしてウロウロしていた
だけだったのか。
あまりのショックに、
大号泣しました。
しばらくショック状態に陥った後、
ぼんやりと思い出したことがあります。
ある目的地に向かっているとして、
たとえば道を間違えて戻ったとする。
同じ道を引き返すなんて
無駄な時間を過ごしているとしか思えないかも。
でも、たとえば
行きとは違う景色を見るかもしれない。
行きには気づかなかった花を
道端で見つけるかもしれない。
あるいは、
美しい蝶を見るかもしれない。
行きのタイミングでは
その道に存在しなかったものは
引き返す道でしか見られない。
引き返してくるって
本当に単なる無駄な時間かな?
そうは言っても、
最初は
「そんなキレイごと・・・」
と思ってました。
5月に伊勢神宮を訪れた際、
早朝から外宮、内宮とまわりました。
内宮でお参りをした後、
「そうだ、これから
ご朱印をいただくことにしよう」
と思い立ちました。
急に思い立ったから、
ご朱印帳も手元になく、
まずはご朱印所を通り過ぎて
購入できるところに向かいました。
ご朱印帳を購入して、来た道を引き返し、
無事、ご朱印をいただいてから
改めて同じ道を辿ると・・・
御厩(みうまや)に神馬がいた~
(この子は、普通の白馬です)
出来事としては大したことないんだけど、
この
全く同じ道を辿っても
タイミングで見えるものは違うんだってことが
腑に落ちたんです。
だから、
同じ道を何度辿っても
今、見えているものは
今しか見えない。
たとえば、
道を誤って引き返しているように感じても、
その戻る道でしか見えないものを
見る価値は充分にあるってこと。
だとすると、
本来の自分らしさを押し込めて
生きてきた40年も、
そのことに気づいたこれからの人生も、
そのときだからこそ見えるものを見て
生きているんだってこと。
このささやかな出来事から
教わりました。


