今日は、松田智子さんを偲ぶ会だった。主催者のご尽力に、心から感謝したい。また、改めて智子さんのご冥福を心からお祈りします。
会の主催者が、偲ぶ会の出席者の画像は、映っている本人の同意を得ずに勝手にSNS等にアップしないようにとアナウンスしていたので、会の様子を掲載することは差し控える。景色以外は掲載しないが、トモコさんの多様で幅広い人脈が伝わる、心に沁みる会となった。
私は音楽仲間としての人脈で参加したが、この会で同席したその旧知の音楽知人とだって、誰とでも親しく話すわけでもない。私は、今回のグループの皆さんからすれば、外れ者なのだ。実際、この会においても私と会話してくれたのは、数名である。でも、それが自然だし、私はむしろ気を使わずに済むのでありがたいとさえ思う。ほっといてくれて助かるな、という感覚だ。こちらから声をかけて不愉快な思いをするのも嫌なので。
私は、ジャズ・ボーカリストとしての智子さんの実力に注目して、何度もセッション演奏を重ねてきた。10回位はご一緒したかなとご主人様に言ったら、それどころの回数じゃないとのことだった。思い出したが、コロナ後にも一度カシオピュアライブにブッキング出演していただいていた。そこからまだ日もそんなに経っていないのに、あっという間に彼女は逝ってしまった。
今回執り行われる4月29日の、「昔ながらのまんぼうイベント」に智子さんが出演できていたとしたら、すごく素敵だったのに、と考えてしまう。まさに正式に声をかけようとしていた矢先の、突然の訃報だった。
前にも書いたが、私は誰々の追悼ライブという名称をあえて謳うライブをしたり、そこに参加したりすることを好まない。今回は、単なる偲ぶ会だとのアナウンスがあったので、むしろ積極的に参加したいと考えてエントリーさせていただいた。
私はこれまでも、若い頃から今までに、事故や病気で数多くの友人を失ってきた。一番最初に強く心に残った出来事は、中学校2年生のときのこと。火事で友人を失った。大学2年生のときにも、バイク事故で友人を失った。他にも多くの死と向き合ってきたが、原則として大々的な追悼の会には参加せずにいた。もちろん、事情によっては例外もあり、参加したこともあるので、頑固に拒否をしているわけではない。逆に、声すらかからなかったこともある。これからも、密かにさり気なく、故人に思いを馳せることができるような、愚直で不器用な人であり続けたい。
今回も、本来は智子さんをピックアップするはずだったイベントではあるけれども、ライブ中にそのことに触れることはせず、ご遺影をさり気なく配置するだけにするつもりだ。これまでもそうしてきた。
智子さんは、必ずきてくれるはずだ。これまでも、成澤さんも、片岡さんご夫婦も、ヒロ⭐︎PANも、マヤGも、その訃報の後に行ったイベントやライブにおいては、会場に来てくれていた。私は、そういった「気」のような、気配というか、魂の漂いというものを感じ取ることができる。その場にいる人たちがその人のことを想えば、その場にいることと同じなのである。
残された我々が、忘れないこと、思っていることによって、死してなおその人の魂は現世に永遠に生き続けるのだ。
※画像の後にも文章があります。

自分が死んだときには、周囲の反応はどのようになるのだろうかと考えてしまう。そう遠くない日かもしれないが、自分は、死ぬときはひっそりと消えてしまいたい。でも、私はまだまだ生きていたい。皆さんの記憶に残るだけの人には、まだなりたくない。現世にいたい。


懐かしい画像があった。智子さんと何度も演奏をご一緒したことのある「まんぼうズ」たちも、みんなその死を悲しんでいるはずだ。まんぼうイベントで智子さんに会ったことがある人達には、29日に密かに私との思いを共有してほしいと願っている。それが、真実の「追悼」である。


リハの後に智子さんとバンドのメンバーと何度も行った、小岩の名店であるあの居酒屋にも寄ってきた。運よくいつも座っていた場所に座ることができ、感慨にふけることができた。人としての生と死を見つめ、思い、そして決して忘れないということを心に誓う時間となった。誓わなくても、智子さんのことを忘れられるわけなどない。

私がドラムで演奏参加している画像が何度も流れて、自分の演奏の未熟さに恥じ入るばかり。智子さんのボーカルは、さすがの一言につきる。

自分が死んだときには、周囲の反応はどのようになるのだろうかと考えてしまう。そう遠くない日かもしれないが、自分は、死ぬときはひっそりと消えてしまいたい。でも、私はまだまだ生きていたい。皆さんの記憶に残るだけの人には、まだなりたくない。現世にいたい。


懐かしい画像があった。智子さんと何度も演奏をご一緒したことのある「まんぼうズ」たちも、みんなその死を悲しんでいるはずだ。まんぼうイベントで智子さんに会ったことがある人達には、29日に密かに私との思いを共有してほしいと願っている。それが、真実の「追悼」である。


リハの後に智子さんとバンドのメンバーと何度も行った、小岩の名店であるあの居酒屋にも寄ってきた。運よくいつも座っていた場所に座ることができ、感慨にふけることができた。人としての生と死を見つめ、思い、そして決して忘れないということを心に誓う時間となった。誓わなくても、智子さんのことを忘れられるわけなどない。
智子さんの偉大なる人生に、心から敬意を表したい。