運命とは何か (世界的ベストセラー「夜と霧」を読んで) | Manami 公式ブログ「日常の魔法」

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ここで必要なのは、

生きる意味での問いを百八十度方向転換することだ。

わたしたちが生きることからに何を期待するかではなく、

むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ

(ヴィクトールEフランクル「夜と霧」第二段階 収容所生活 ー生きる意味を問うー)

 

この言葉は私の生き方を変えた言葉です。

先日、沖縄へ行く飛行機の中で

聖書に続く素晴らしい読書体験をしました。

 

私が読んだ本はオーストリアの心理学者

ヴィクトールEフランクルが著した

「夜と霧」という世界的ベストセラー。

フランクル自身がナチス強制収容所に送られ

いつ死ぬかわからない極限の生活の中で

「人間とは何か」を観察し、それをまとめた体験記です。

 

強制収容所での生活は

悲惨、残酷、屈辱、地獄

どの言葉も当てはまらないほど

想像を絶するものだったことは

言うまでもありません。

 

ただフランクルは

ここで自分が生身の体験者として

心理学の点から観察を続け、

未来に必要なメッセージを残そうとペンを取りました。

私は、フランクルのこの勇気ある決断に強靭な精神の強さを感じ、

その心の崇高さに痛く感動したのであります。

 

この本の中で思わず線を引かずにいられなかった

箇所をいくつか紹介します。

 

愛について

 

まず強制収容所に着いてすぐ

ガス室送りかそうでないか決まるという恐ろしい

点呼が始まります。

その中でも生き残れたのは

労働に適している人だったそうで

フランクルは胸を張って健康に自分を見せながら

監視員の前に立ったことで

ガス室送りを免れました。

 

このように、何の前触れもなく

生死を分けるような運命の点呼が

幾度となく生活の中でも訪れます。

 

フランクルの奥さんも別の収容所に

収監されていましたがお互いに 

生きているかどうかの安否は分からずじまいでした。

 

そんな恐怖と不安が募る究極の精神状態の中、

フランクルが唯一自分の心を保っていたことは

愛する妻との対話をイメージすることだったそうです。

 

「それはいっこうに、私の愛の、愛する妻への思いの、

愛する妻の姿を心の中に見つめることの妨げにはならなかった。

もしあの時、妻はとっくに死んでいると知っていたとしても

構わず心の中でひたすら愛する妻を見つめていただろう。

心の中で会話することに、同じように熱心だったろうし、

それにより同じように満たされたことだろう。あの瞬間、

わたしは真実を知ったのだ。

「われを汝の心におきて印のごとくせよ・・・・

其は愛は強くしてしのごとくなればなり 雅歌8:6」

(ヴィクトールEフランクル「夜と霧」第二段階 収容所生活ーもはや何も残されていなくてもー)

 

 

 

自由について

 

収容所の中では全ての自由を奪われていました。

食事もろくに取れず、餓死する者もいるほど

衛生状態も劣悪でシラミやチフスといった病気が蔓延する中でも

歯磨きさえ与えられないという

人間としての扱いは決して受けられない、

その上にロボットのように働かされ続ける

地獄のような生活から解放される見込みもほぼない中で

それでも生きようと決断できたのはどうしてなのでしょうか

 

「強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や

居住棟の間で、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ

なけなしのパンを譲っていた人びとについて、

いくらでも語れるのではないだろうか、

そんな人は、たとえほんの一握りだったにせよ、

人は強制収容所に人間をぶち込んで全てを奪うことができるが、

たった一つ、与えられた環境でいかにふるまうかという、

人間としての最後の自由だけは奪えない」

(ヴィクトールEフランクル「夜と霧」第二段階 収容所生活ー精神の自由ー)

 

「「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、

私の真価を発揮できるときがくる、と信じていた」

けれども現実には、人間の真価は収容所生活において発揮されたのだ

おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、

あるいは、ごく少数の人々のように

内面的な勝利をかちえたか、ということに」

(ヴィクトールEフランクル「夜と霧」第二段階 収容所生活ー暫定的存在を分析するー)

 

自分の中に人間としての尊厳を守るか、それを捨てるか

誰も、どんな状況さえも奪うことができない

内なる自由というものが人間には備わっていること

そしてその決定権はいつも自分にあると

フランクルは力強く語っています。

この内なる自由を自分の中に発見できたことが

彼の生きようと思えた理由の一つだったのです。

これらの言葉は私に「生きる」ということの

新たな視野を与えてくれました。

 


 

 

 

運命について

 

このような逃れられない状況下で

フランクルは何度も奇跡を体験します。

 

たとえば、脱走を試みた時に

その脱走直前に、残された瀕死状態の仲間の目を見て

フランクルだけ脱走を思いとどまったこと

 

死ぬ覚悟を決めて乗った移送トラックの行き先が

ガス室ではなく医療施設であったこと

 

これ以上働いたら死んでしまうと衰弱しきった状態の時に

警報が鳴って労働が早く切り上げになったこと

 

彼を生きることへと導く様々な機会も

実際に生活の中で起こっていたことは

本を読み進めていく私にとって

大きな慰めでした。

 

「人間は苦しみと向き合い、

この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、

そしてふたつとない在り方で存在しているのだという意識にまで

到達しなければならない。誰もその人から苦しみを取り除くことはできない。

誰もその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。

この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、

ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の

可能性はあるのだ・・・・・・(中略)

それは、生き延びる見込みなどの皆無の時に私たちを絶望から

踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ」

(ヴィクトールEフランクル「夜と霧」第二段階収容所生活ー生きる意味を問うー)

 

もしも強制収容所に行くことが定めだったのなら

その中での彼の生き様は運命を変えたのです。

「運命を変えた」ではまだ弱くて

「運命を勝ち取った」

という表現の方がより近いのではないかと思います。

 

私は、この本を読み終えた後は

しばらく何も手につかないほど感動していました。

 

「私の人生は私に何を期待しているのか」

そしてこの問いかけは、私がこれから生きていく上で

人として正しい決断へといつも導いてくれるコンパスのようなものになると

確信させました。

 

運とは、私たちの細かな一つ一つの選択が重なって引き出された事象であり

命とは、それらの事象と真っ向から向き合うことで得られるもの

運命とは神様が私たちにくれる「最高に生きること」の機会

だと私は思ったのです。

 

今日のブログの最後は文書の言葉で

締めくくりたいと思います。

 

「(収容所から)ふるさとに戻った人々の全ての経験は、

あれほど苦悩した後では、

もはやこの世には神よりほかに恐れるものはない

という、高い代償で購った感慨によって

完成するのだ」

(ヴィクトールEフランクル「夜と霧」第三段階 -収容所から解放されて-)


 

長い間お付き合いいただきありがとうございました。

久しぶりに卒論を書いている気分になりましたよ笑

気づけば書き始めてから9時間ぐらい経過してます。

それほどの感動をくれたこの本に出会えたこと

心から感謝します。

 

この本を読んだ方がいらっしゃいましたら

是非皆さんの感想も聞かせてくださいね。

 

これからやっと、、、、

歯磨きしたいと思います。笑

 

 

 

 

 

 

 

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