少し前にこの記事書いたんだけどさ
 

 
 
 
実は
なんかもう
そんなんじゃなかった。
 
 
 
誰かに会いたいとか
誰かとおしゃべりしたいとか
 
 
 
そんなフワフワ甘くて柔らかい願望じゃなかった。
 
 
 
 
というのに気づいてしまった
花療法家マナです魚あたま
 
 
 
 
私は、
 
私の
 
感じてること
思ってること
考えてること
やってきたこと
やってること
やっていきたいこと
やってみたいこと
 
 
 
なんかを喋りたいんだ
 
 
 
 
えーと
つまり、私のことだけを話したい
 
 
 
 
 
 
なんちゅう自己中な欲求。。。滝汗オウマイガッシュ
 
 
 
 
 
でもその理想は、
 
街頭で一人でワイワイ喋りたいんじゃなくて
私も話して目の前の相手も話す。
 
 
 
そんで、相手の話もふむふむと聞いて受け止める
 
 
 
 
 
 
かと思いきや、
 
 
 
その声や言葉を聴いて
 
 
 
私がどう反応するか
 
私がどう感じるか
 
私がどう考えるか
 
 
 
そこにいちばん興味がある。
 
 
 
 
 
 
 
ようするに
 
 
どんな球がきても
結局は私のターーーン!
 
 
(わかりづらいか笑い泣き
 
 
 
 
 
 
だけど、
 
突き詰めていくと
深堀りしてくと
 
シンプルにそうなんだよね。
 
 
 
 
 
どうしたって
私は『私自身』の域を超えられない。
 
 
 
相手の言動をいくら受け止めたところで、
私は相手自身になり代わることはできないし、
 
 
 
とどのつまり、
 
それらは私にとっての
刺激や反応の種にしかならない。
 
 
 
すべての事柄は 
私の魂や肉体を持ってしか
存在できないし
 
 
すべての景色は 
私を通過しなければ成立しない。
 
 
 
 
 
 
だから
私自身がくっきりと濃密に
私の輪郭や内側を描けば描くほど
世界の事柄や景色は鮮やかに際立ってくるはず。
 
 
 
 
それをやる第一歩がこのブログだった!
 
と改めてハッとする。
 
 
 
 
 
これまでも記事は書いてはきたけど
 
 
なんというか
どこか「ライナスの毛布」的なものを
手放せずにいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
握りしめたまま人前に出て
 
時々毛布をかぶって隠れて安心して。
 
 
 
 
でもそれやると
 
私の輪郭が自分でもはっきりわからないし
 
毛布越しの世界しか眺められない。
 
 
 
 
 
 
触っているととっても安心だけど、
 
乗馬やロッククライミングやヨットクルーズや
豪華なレストランや素敵なパーティには
持っていけない。
 
 
邪魔だし、TPOにそぐわないからね。
 
 
 
 
 
そう、だから
もう毛布は手放そう、と思う。
 
 
癖でまた引っ張りだしてくることが
あるかもしれないけど
 
 
 
毛布にさよなら。
 
 
 
 
 
 
私自身がくっきりと濃密に
私の輪郭や内側を描けば描くほど
世界の事柄や景色は鮮やかに際立ってくるはず。
 
 
 
 
 
そのために、まずは
 
姿を現したい
 
 いま   素直にこんな気持ち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Manakamana Essence
Manami Yoshida