こんにちは蓮花です。

 

昨日はとても暖かい日で春のようでしたが、今日はまたいつもの冬に戻りました。

 

暖かいと犬が庭でゴロゴロと日光浴をして嬉しそうで、それを見てる自分もほっこりしました。

 

 

1月にも暖かい日があり、特別暖かい日が時々あると、スペシャルな贈り物のような気がしますね♪


 

 

 

本当の春になって毎日がポカポカと暖かければ、最初は喜ぶでしょうがその内に慣れてしまいます。

 

「嬉しいなぁ」「ありがたいなぁ」の気持ちはずっとは続かない

 

 

今のように真冬の中の春の一日はとてもありがたく感じるのに、それが毎日だと普通になってしまいますね

 

 

過ごしやすい日だけでなく、満たされていること、ありがたいことは他にもたくさんあるはずですが

 

それをずっとありがたいと思わないのは何でだろう?と疑問が出てきました。

 

 

何かを求めて、その願いが叶ったとして、嬉しい気持ちになる

 

ですが、嬉しい気持ちはいつまで続くのでしょう?

 

 

一つは嬉しい状態は特別でなく、普通なことの感覚に変るからかな?という気がします。

 

 

派遣で働いていた時に印象に残ったことがあります。

 

 

同じ派遣で男性の営業マンがいました、勤務年数は長くていつか社員になりたい!と希望があった彼は

契約社員になり、その数年後に正社員になれました(同じ会社です)

 

 

男性には時々、派遣から正社員になる人がいたんですが、その彼も何年もがんばって希望が叶ったんです。

 

 

今日から社員!という日、朝礼で紹介された彼は目がキラキラと輝いてました。

 

働く意気込みからも「今日からがんばるぞ!」というオーラが出ていたのですが、時間が経つにつれてどんどん薄れて

 

同じ日の午後には、もういつものイライラモードになっていたんです。

 

 

私は席が近くて、一部始終を感じてしまったのですが、彼が何年もあれほど望んだ夢(正社員)になれた嬉しさは

なんて簡単に無くなってしまうのだろう!と驚きました。

 

 

嬉しい気持ちを続かせるのは難しいのだなと思った出来事です。

 

 

この話の例は物質的な喜びになる(社会的地位とか、金銭面など)から、長く続かないのかも知れないですが

 

何年もがんばって手にしたのに、すぐにしゅーんとなったのは残念ですね

 

 

 

喜びを感じることは、今の自分を感じること

 

今ここの自分となり、今あること、を感じることです。

 

 

 

特別に何かを手に入れなくても、今あること

 

毎日暮らす家があること、その家が安全で暖かくて憩える場所であること、雨が降っても濡れずに過ごせて

冬の寒さや夏の暑さから守ってくれること、など、住まいだけでも「たくさんのある」があります。

 

 

平和な日本に住んで、綺麗な水がたくさんあり、紛争もなく安全に暮らせる、これも当たり前になってますが、ものすごくありがたいことです。

 

 

今自分の周りにある「ある」に気がつくと、大きなことから、小さなことまで、ありとあらゆる幸せを見つけられます。

 

 

 

 

 
 
 
人間はとても不思議なのですが、何故か「ないもの」を数えてしまうのです。
 
それはエゴの声かも知れませんし、生存本能的な生きるための防御のせいかも
 
自分の気持ちが「ないもの」を数えていることに気がついたら立ち止まり
 
本当にないのか?今の自分に戻って確認すると、いっぱいあることに気づけます。
 
 
自分の心を感じるのは、瞑想などされるといいですが
 
静かに思考を落ち着かせて、今の自分を感じていると不安やモヤモアや不足した気持ちが薄れて
 
ほんのりと穏やかな気持ちになり、大丈夫と思えて「何を気にしてたんだろう」となります。
 
 
本来は誰もがそうした安心な世界を持っていますから、そこに繋がるように生きたら楽になれますよ
 
 
 
 ★ネガティブをポジティブへ転換する

 

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