《北斎伝説》みんな北斎プロジェクトより
http://minnahokusai.ableart.org/#legend
「すみだ北斎美術館」の開館記念プロジェクトとしてスタートし、北斎が生きたすみだから新しい障害者アートの波を起こそうと、全国障害者アート公募展「みんな北斎」を開催しました。2017年からはワークショップで生まれた作品を素材にアニメーションを制作。墨田区内のさらなる気運醸成と、障害のある人が区内で文化・表現活動できる機会を増やし、活躍の環境と循環をつくることを目的に活動しています。
http://minnahokusai.ableart.org/cate-legend
絵の師匠に破門され失意の日を送っていた北斎は、信仰していた柳嶋妙見山法性寺での21日参りの満願の日、落雷に遭う。その後めきめきと絵が売れ出した、と法性寺には伝わっている。★「雷斗」という名で絵を描いていた時代もある。
【しりあがり寿】(1958~)
https://journal.rikunabi.com/work/job/job_vol44.html
静岡県静岡市葵区出身。本名は望月寿城。妻は漫画家の西家ヒバリ。多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業。81年キリンビールに入社し、広告宣伝、マーケティングなどを担当する。同年漫画家としてデビュー。会社勤めのかたわら、85年、初の単行本『エレキな春』を刊行。非常にラフで、一見描き殴りのような★「ヘタウマ」絵を描く漫画家として知られるが、生前の手塚治虫に★「この人は実はものすごく絵がうまい人だ」と評され、時事ネタとしてアニメ調の画風でネタを描いた事がある。その手塚治虫に2作目の★「エレキな春」では真似が出来ないと言わしめた。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。94年キリンビールを退職し、専業漫画家となる。2000年『時事おやじ2000』(アスペクト)、『ゆるゆるオヤジ』(文藝春秋)にて第46回文藝春秋漫画賞を受賞。2001年『弥次喜多 in DEEP』(エンターブレイン)にて第5回手塚治虫文化賞「マンガ優秀賞」を受賞。主な作品に『流星課長』『ヒゲのOL籔内笹子』『方舟』など。青林工藝舎発行の『アックス』に2002年から2004年まで連載した★「ジャカランダ」は、登場人物に主人公すら設定せず、ある日突然生えてきた一本の巨樹ジャカランダによって徹底的に東京が崩壊する阿鼻叫喚の地獄絵図だけを300ページに渡り描き、ラストに人類再生へと続く希望を見せ、物語は終了するという特異な漫画作品も描いている。芸人の鳥居みゆきは、★「のうのうと生きてちゃいけないな」と本作への衝撃を語っている。近年では漫画以外にも執筆活動、映像、ゲーム、アート、音楽など多方面に活動の幅を広げている。神戸芸術工科大学特任教授、横浜美術大学客員教授、日本大学藝術学部非常勤講師。代表作は『真夜中の弥次さん喜多さん』、『弥次喜多 in DEEP』など。現在では時事ネタ、家庭ネタ、サラリーマンネタ、果てには哲学的なテーマまで幅広く扱い、ギャグによって★文学の領域にまで達した漫画家として評価が高い。
《あの日からのマンガ》/作:しりあがり寿/ビームコミックス2011.7.25
地震・津波・原発…「あの日」以降の日々を生きる日本に贈る、渾身のメッセージ。★「『たとえ間違えているとしても、今、描こう』と思いました」しりあがり寿。3.11…史上最悪の震災によって、すべてが変わってしまったあの日。それ以来、しりあがり寿は、誰にも追いつけないスピードとヴィヴィッドさで、東日本大震災をテーマにしたマンガを描き続けている。震災からわずかひと月後に掲載され、ネットや新聞・雑誌などに大きな反響を呼んだ月刊コミックビーム発表作を中心に、朝日新聞夕刊連載の4コマ『地球防衛家のヒトビト』など、未曾有の危機の時代に挑むように、アグレッシブに天才が発し続けたマンガ作品を集め、今だからこそ、緊急出版。
《あの日からの憂鬱》/作:しりあがり寿/ビームコミックス2015
決して忘れられない日付となった3・11。「あの日」から4年の月日が経ったこの国で、ぼくらは、どう「明日」を迎えればいいのだろう…。圧倒的な速度と強度で東日本大震災を描き、ジャンルを超えて衝撃を与えた『あの日からのマンガ』(第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞)。しりあがり寿は、その後も、絶え間なく起こる諸問題に向けマンガを描きつづけている。朝日新聞夕刊連載4コマ『地球防衛家のヒトビト』に、「福島」へ斬新なアプローチで迫る短篇、紫綬褒章受章を受けて執筆された珠玉の幻想譚など、さらなるバラエティとディープさで、激動の現代日本、その「魂のゆくえ」を描き出す笑いと涙の作品集。
・・・「たとえ間違えているとしても、今、描こう」から始める。そして、修正をかけながら「続ける」周囲の声や状況の変化を真摯に「受け止めつつ」自己責任において発信・表現していく。
・・・素晴らしい「富士山」です。
《NEWS》2020.5.6オリコンニュースより
同調圧力? 芸能界も“バトン疲れ”、SNSで求められる“繋がり”の弊害
新型コロナウイルスの影響による外出自粛を受け、芸人たちの「ギャグつなぎ」はじめ、ミュージシャンの「うたつなぎ」など、SNS上で多数のタレントやアーティストなどがコラボレーションしている。一般ユーザーの間でも自己紹介を繋いだりと“バトン企画”が話題になっているのだが、一方で元AKB48の秋元才加などは「最近よく見かけるリレーとかバトンを私に回すのを遠慮して頂けると有り難いです」と投稿。それに共感の声も多数挙がるなど、多くのユーザーの“バトン疲れ”が浮き彫りとなった。人との接触の8割減を目指す社会のなかで、SNS上のコミュニケーションが有用な“生活必需品”になる一方、同調圧力や義務感による精神的負担もあるなど、本来持つはずの“エンタメ”の側面から★やや逸脱しつつあるようだ。SNS上で「次は○○さん」と★指名してユーザー同士で次から次へと繋いでいく“バトン企画”。品川庄司の庄司智春が始めると芸人の間でつながれ、菅田将暉も参加するなどした「ギャグつなぎ」が4月22日には100人を突破。ジャニーズ事務所所属タレントの「Stay home with J」や各局人気女子アナが自作のおにぎりの写真をインスタに投稿する「#祈りのおむすびバトン」、「#家にあるものでコスプレ」で『鬼滅の刃』のコスプレをした藤田ニコルやロンドンブーツ1号2号の田村淳などが芸能界でも話題になった。となると、一般ユーザーの間でもバトン企画が流行するのも当然の流れで、疫病の妖怪であるアマビエのイラストを描く「アマビエチャレンジ」や、お母さんの不安や悩み解消のための「#つながるお母さんバトン」から、イラストやハンドメイド、コスプレなどを使った自己紹介など、「家の中でできること」を繋ぐバトンが広がっている。ちなみに、星野源の「#うちで踊ろう」は、星野源が安倍首相の“コラボ騒動”の際に言及した「(他のコラボ動画と同じように)僕自身にも所属事務所にも★事前連絡や確認は、事後も含めて一切ありません」のように正確に言えばバトン企画ではなく、いわば★“フリー素材”のような扱いではある。ただアーティストたちが有事の際に「今だからできる事」を模索して形にしたと言う点では同様で、元気づけられたファンも多いはずだ。他にも数年前ではALS研究支援の「アイスバケツチャレンジ」も★啓蒙活動として注目されたが、このような自宅にいることが推奨されて人と人の関わりが減っているなかで、「人の繋がりが感じられる温かい現象」として機能していると言えるだろうし、基本的には★“良いこと”として捉えられている。
※「啓蒙」無知の人を啓発して正しい知識に導くこと、人々に正しい知識を与え合理的な考え方をするように教え導くという意味です。ですから、基本的に上の立場の者から下の立場の者に対して使う言葉です。教師から生徒や、専門家から一般人などに対して使われています。したがっていっぱんてきには「啓発」という表現の方が適していると思われます。
そしてこういったバトン企画のような“行動”は、昔から同様のものがあったのもまた事実。昭和の時代には「この手紙と同じ内容の手紙を5人に送らないと不幸になります」といった「不幸の手紙」や、それとは真逆の内容を同じように手紙で送る「幸福の手紙」があった。インターネットが普及した平成になると「チェーンメール」に姿を変えたが、そこまでは、(バトンをつながないと★何となく気持ち悪い…)という感情こそあれど、次に渡すか否かの★決定権は受け手に委ねられていた。ところがブログやmixiなどの会員制コミュニティーサイトに引き継がれ、そしてTwitterなどのSNSで「バトン企画」が浸透すると、次に誰が指名されたのかは、自動的にオープンになる。つまりは指名された人がバトンを繋げるかどうかを、読者やフォロワーも見ることができるように変化したのだ。それが今回のコロナ禍絡みであったり、なにかの支援などの、世間的に“良いこと”と捉えられていることだったら、(断ったら批判を浴びるのでは…)といった★不安感、(もちろん繋ぐのが常識だよね?)という★義務感をなんとなく強要してくる世間…といった★“同調圧力”的なものが生まれてくるのは必然ともいえるのだ。その果てにあるのが“バトン疲れ”であるわけだが、芸能人・著名人の場合、(それなりの社会的地位があるのだから社会貢献するのも当たり前でしょ?)といった“見えない圧力”も、さらにのしかかってくる。その結果、元AKBの秋元才加は「本当ごめんなさい」「毎日一生懸命生きているだけでも結構なカロリーを消費しているので、最近よく見かけるリレーとかバトンを私に回すのを遠慮して頂けると有り難いです」「★無視した感じになってしまうのもちょっと心苦しかったので」…と“勇気ある”Twitter投稿をして話題になった。他にも同じく「★苦手すぎてやろうとは思ってるんだけど無視しちゃってますが★悪気はないんです」と池田美優(みちょぱ)も告白。俳優の★浅野忠信も「すいませんバトン系しばらく休みます。」と投稿するなど、芸能界において“バトン疲れのカミングアウト”が相次いだ。これはバトンを繋がなかったことに対するバッシングへの“予防線”ともいえるだろう。だが、その告白には共感の声が多数集まり、一般ユーザーの間でも同じように多少無理しつつもバトンを繋いでいた状況が見られるようになってきている。これらの“バトン疲れ”について、「10年位前のmixiの記憶がぶわっと襲ってきた」と言った経験談や、「バトン疲れが垣間見えるので回すのは遠慮しますね」「バトン疲れの方も散見されますのでひとまずストップ」といった、自ら“アンカー”を志願する一般ユーザーのコメントが多数見受けられたのだ。2011年の東日本大震災の際の“絆”、そして現在の“STAY HOME”など、有事だからこそ今のSNS時代ならではのバトン企画から人々を★勇気づけるコンテンツが生まれ、楽しく続いているものもある。当然、今回のバトン企画も★辛い外出自粛を救おうとするものだ。だが、こういったバトンを引き継ぐ“義務感”だけではなく、当然それを断る“権利”もあるはず。エンタテインメントが“苦しいもの”になってはまさに本末転倒であるし、ほんの少しだけの、あえて繋がないことを許す“心の余裕”を心掛けたい。
・・・「許す」とか「心の余裕」という表現はちょっと違う?★何か悪いことしたわけじゃないし、自分がやってくださいと頼んだわけでもないですよね。やりたい人がやればいいし、その方法論はいろいろあっていい。自分にふさわしい方法がみつからない人、いい方法だと思ったら「つながればいい」と思います。「人のために」もあるけど「自分のためでもある」わけですから、「つながるかどうか」に重きを置きすぎないことです。「つながりたい人」★この指とまれぐらいがちょうどいい。バトン疲れの「カミングアウト」が出てくるということは、「重くなってる」という証でしょう。もとより「外出自粛を辛い」と思う程度にも、かなり個人差があるはずです。普段から「外出が辛い」「人に会いたくない」「大勢いるところはイヤだ」という人、いますよね。「カラオケ」とか「飲み会」とか、誘わないでほしいと思っている人も。
《NEWS》2019.5.8Lmaga.jpより
俳優・浅野忠信が出展、六甲山アート展
俳優・浅野忠信が、神戸で毎年開催されるアートイベント『六甲ミーツ・アート 芸術散歩2019』に作品を出展。9月13日から展示される予定だ。1990年公開の『バタアシ金魚』で映画デビュー以来、役者として国際的な活躍を続ける彼だが、近年は線画のアート作品でも注目を集めている。学生時代から絵を描いていたという浅野のドローイング熱が再燃したのは、映画撮影の待ち時間がきっかけだという。台本やメモ帳に描いたボールペンの落書き、デッサンを経て、現在では水彩画やアメコミ風のキャラクターシリーズなどの作風を増やし、作品の数は3600枚を越えている。2018年には700点の作品を集めた個展が東京で開かれ、アート好きの若者ら多くの人が訪れた。本イベントでは9月13日から11月24日までの期間中、神戸市にある「六甲山」の周辺施設を会場に、さまざまなアーティストによる作品が展示される。
・・・作品なかなか良かったです。「すいませんバトン系しばらく休みます。」★と言えるのはさすがアーティスト、それぞれの個性をもっとも大切にしなければならない作業なのですから。




