続・船場物語(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆「圓井雅選堂

541-0043大阪市中央区高麗橋4-4-21/06-6231-7138

昭和年(1932)創業格式ある古書画古美術商。店主圓井謙三郎さん(★大阪美術倶楽部元取締役、大阪美術商協同組合元理事・監事


まるい1


※「浮世小路

住所表示は高麗橋だが、ここは高麗橋通りではない。船場の東西を横断するこの細い通りはかつて浮世小路と呼ばれていた。浮世小路は船場の旦那や番頭の妾の家が集積する妾宅街だった。起源は同じく妾宅街で有名な京都・石塀小路よりもはるかに古く近世初期までさかのぼる。約4間の通りの幅の半分を巨大な背割り下水(太閤下水)が占めていた。当初は小商店が並ぶ裏通りだったが、いつしか妾宅街になったらしい。裕福な船場商人は芸妓などを妾にして浮世小路などに家を買い囲うことが多かった。日本屈指の大富豪で、夜な夜な花街に出没することから「コウモリ大尽」と称された千種屋(平瀬)露香は、気に入らない妻や家業はそっちのけで、船場梶木町の自宅には帰らず浮世小路の愛妾宅に入り浸っていたという。近世近代の船場商家の婚姻に当事者の自由意志など存在せず、ほぼ100%商家間の政略結婚であるため、自分が愛する芸妓などの女性を妻に迎えることは事実上不可能であった。もちろん全てがそうではなかっただろうが、妾宅は「接待施設」でもあったらしい。封建制と男尊女卑に基ずく野蛮な因習であったことは否めない。


まるい2


1980大阪美術倶楽部」(2008新館)

541-0042大阪市中央区今橋2-4-506-6231-9626

http://www.daibi.jp/

1910年(明治43)東区唐物町1丁目大阪商盛組内に於いて同組有志者が発起人となり株式会社大阪美術倶楽部が創立した。1911年(明治44)東区淡路町丁目に約600坪の土地を購入し同年12月工を起し約年有余の日月を閲して純日本式階建家屋約350坪施工した。創立以来当倶楽部の事業は専ら会場を貸与するのみで書画骨董類の入札会及び交換会は組合の主催であったが大正年に至り入札会に限り会社の直営とした。1947年(昭和22)美術界に由緒ある鴻池男爵家本邸である現在の東区今橋丁目の土地家屋を購入し同時に淡路町丁目の羅災地を譲渡した。


まる3


浪速の豪商鴻池家

http://www.daibi.jp/daibi/kounoike

酒造業と海運業で財を成した鴻池家は、大名の「蔵屋敷」にある年貢米などの「蔵物」を担保にして金を貸し付ける「大名貸し」も開始され、「大名貸し」を足掛かりに明暦年(1656))には「両替商」を始めた。「両替商」は金銭売買、貸付、手形振出、預金などを取扱い、今日の銀行のような役割を果たした。寛文10年(1670)には両替商仲間の取締りや幕府の御用両替として公金の出納の取扱いを行う「十人両替」の一人にも選ばれた。延宝年(1674)天王寺屋五兵衛を筆頭に多数の両替商が営業していた現在地今橋通に内久宝寺町より両替店を移した。元禄年間に鴻池家と取引のあった大名は尾州、紀州以下32藩にも及びますますの発展を続け、嘉永年(1854)には長者番付の最高位で東の大関となり、「日本の富の七分は大阪にあり、大阪の富の八分は今橋にあり」と言われるほどの財を成した。


まるい4


◆1986「サンビル備後町」/施工:竹中工務店

541-0051大阪市中央区備後町3-3-3

鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)(地上階建地下

※サンビル備後町1F/「カフェ・ベローチェ備後町三丁目店06-6125-0068

「地球樹」1990第一回大阪市都市環境アメニティ表彰受賞

・・・2014-09-03御堂筋彫刻ストリート(2)」のブログで、次のように書きました。

作者を調べたがわからない。唯一、(株)乃村工藝社HPにディスプレイ・デザインの歴史として『藤井毛織ビル「地球樹」(昭和61年)』が紹介・掲載されていたので、乃村工藝の仕事なのかな?現在は「サンビル備後町」という賃貸オフィスビルになっている。モニュメントの日本にあたる位置に、鳥がとまっているらしいので、またの機会に確かめてみたい。


まるい5


・・・まず「藤井毛織」について調べました。

藤井毛織

創業は古く1890年に織物産業の中心地の大阪・泉州地区で事業を始めている。オーストラリアとの深い関わりを始めたのは1973年であった。藤井毛織は、優れた羊毛の産地として知られているタスマニアで、この年からスーパー・メリノ種の羊から採れる高品質を誇る羊毛「ウイントン」の買い付けを始めた。世界最高の品質を誇るオーストラリア・タスマニア島で産出される“ウイントン・ウール”を世界の強豪相手にオークションでセリ落とし、毎年最高値での落札で有名になり、1999年で連続27年目となり、ギネスブックの記録を塗り替えている。藤井毛織社長・藤井恒一の経営哲学と男のロマン・独自の企業展開を実践するが、一時はそのこだわりゆえ、民事再生を申請した。今はフジイテックスが事業継承をしている。

フジイグループは販売部門の藤井毛織株式会社(ウールマーク・ライセンス番号0016JA64W)とフジイテキスタイル株式会社の販売機能を親会社である藤井毛織福泉株式会社に集約し、社名を株式会社フジイコーポレーション(英文名FUJII CORPORATION)と改める。

住金物産株式会社(ウールマーク・ライセンス0024JA64W)の子会社として2007年5月1日発足した株式会社フジイテックス(大阪市中央区備後町3-3-3、藤田透社長、電話06-6268-1170、ファクス06-6268-1176)は6月1日付けで株式会社フジイコーポレーションから婦人衣料部門を譲り受け、高級婦人服地の製造販売を開始した。フジイテックスは藤田社長のほか非常勤取締役として住金物産の宍戸典之・遠藤雅弘の両氏、フランドルから西尾浩文氏、ワールドから萩原真一氏の各氏が就任、監査役に住金物産の浅野和博氏が選ばれている。


・・・すごい会社だったみたいですね。男のロマンは、もはや現代に通用しない、のかなあ。