◆日本聖公会「京都復活教会」
603-8165京都市北区紫野西御所田町63/075-441-6468
http://www.nskk.org/kyoto/church/k-fkt.html
◆「復活幼稚園」HPの年表より。
1914(大正3)年 京都復活教会の創立
1930(昭和5)年 アメリカ人宣教師J.ケネス.モリス師によって、地域の子どもたちのために幼児園として開設
http://www.fukkatsu-youchien.com/
★教会関係HPには竣工年の記載がなく、ネット上では記載年がバラバラでした。以下、ネット上位のHPを参考にあげておきます。
●1929(昭和4)年
http://www.zoukei.net/kansaimain/kitaoji.htm
●1932(昭和7)年
http://sano567.my.coocan.jp/KYOUTORETORO/sakuin/sakuindata/fukkatukyoukai.htm
●1935(昭和10)年
http://gigi.blog.eonet.jp/default/2014/11/post-ef28.html
●1936(昭和11)年
http://gipsymania.exblog.jp/4699659
★1937(昭和12)年=京都新聞
http://kyoto-np.jp/kp/rensai/cathedral/c17.html
京都市の北大路通堀川。道の角に、日本聖公会京都復活教会の白い洋風の塔が立つ。建築家で伝道師のウイリアム・ヴォーリズが設計★1937(昭和12)年に完成した。礼拝堂の正面の丸いステンドグラスはキリストの姿、側面の縦長窓1枚1枚には青や赤などの十字架が多様な形で浮かび上がる。当時の牧師モリス宣教師が米国から請来した。長い時を経た大きな梁、彩り豊かなガラス、かっちりとした木の長いすが落ち着いた雰囲気を生む。教会は、西陣の伝道所「弘道館」として生まれ、地域を転々としてここに至った。弘道館時代を知る高橋治一さんは、今も西陣で機織り材料の店を営む。若いころは教会の日曜学校の先生もした。「西陣の真ん中の千両ケ辻辺りで布教し続けたのは、貧しい職人や恵まれない子供の支えになりたいと願ったからのようです」モリス宣教師は教会に看護婦を雇って地域の保健指導を進め、付属幼稚園で2、3歳児保育もした。地域の体の弱い子が自然の中で体を鍛えられるよう毎夏数十人をキャンプに引率した。現礼拝堂が完成して2年後、約9240平方メートルのキャンプ場を大津市北小松の琵琶湖畔に購入、地域の子三、四十人を9泊10日の野営に招くなどした。戦時色強まる中、米国人宣教師は帰国。日本人牧師らが志を継ぐ。キャンプ参加者、幼稚園の卒園児、日曜学校の生徒…。戦後は、青年信者らが演劇「青銅の基督(キリスト)」や合唱など文化活動を展開、牧師の道へ進む学生も相次いだ。夏休み、今年もキリスト教を超えて多くの団体がキャンプ場を利用する。交代で世話をする信者の心に「神の光を地域に」の思いが生きる。
・・・これまで、「新聞社」の記載が正しいだろうと思ってきたのですが、この機会にいろいろ調べてみることにました。
【参考】「竣工」「完成」「落成」は、同じ意味と考えて問題はなさそうです。しかし「建築」という表記については、いささか曖昧感が漂います。建築にかかる儀式的な表現としては、地鎮祭・起工式・上棟式・竣工式・落成披露などがありますが、これは当事者の都合によって様々です。
★(株)一粒社ヴォーリズ建築事務所「歴史年表」より
http://www.vories.co.jp/company/history.html
1910年(明治43年)にヴォーリズ合名会社、1920年(大正9年)にヴォーリズ建築事務所と名を変えながら建築設計活動は続き、作品は戦前だけで1500件あまりを数えます。その組織はL.G.チェーピンに始まり、J.H.ヴォーゲル等、多くのアメリカ人建築技師の協力を得て海外技術の吸収に努め、その中から大丸心斎橋店や大同生命を手がけた佐藤久勝など、多くの日本人所員が習熟して行きます。また事務所の作風は、人を驚かせるかのような建築家の自己主張をよしとせず、建築依頼者の求めに相応しい様式を選択し、その応用と近代的な改善を施すことに努め、住み心地の良い、健康を護るに良い、能率的建物を目指しました。1941年(昭和16年)戦雲が立ち込め、多くの外国人が日本を離れる中、ヴォーリズは自らの意志で日本への帰化を選択。一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名します。その年の暮れ、太平洋戦争が始まり、ヴォーリズ建築事務所は一柳建築事務所と名を変え活動を続けますが、戦時体制の影響によりやがて事務所は解散、所員は各方面へと散って行きます。しかし終戦後、株式会社近江兄弟社内に建築部門が復活。再びヴォーリズの元へ次々と所員が集結します。そして建築部門は1961年(昭和36年)6月に独立。株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所が設立されます。本社を大阪、支社を東京・福岡に置き、全所員がヴォーリズの精神を継承し、「確かな建築」を基本姿勢として、ヒューマンスケールに合致した温かみのある空間を創造するべく、今日も建築活動を行っております。
・・・残念ながら、ここに「京都復活教会」は掲載されていませんでした。
◆ヴォーリズ建築作品リスト(1906-1942)
http://www.omi8.com/vories/sakuhinlist.html
本建築作品リストは、山形政昭大阪芸術大学教授が著書『ヴォーリズの建築』の中でリストアップされたものを山形教授のご好意により掲載させてもらっています。「戦前のヴォーリズの建築作品については、1500件余りが知られているが、その中で主要なもの600件余りのリストとした。作品の分類は、キリスト教会、学校、住宅などの建築種別とし、それを年代順に列記した。それに加えて、近江ミッションの建築、軽井沢における建築など、ヴォーリズの特色をなす項目を設け、また東アジア地域に残された建築の一部も加えた。★表記の建築年は設計年代で記した。建築名称に続く( )は、現在名称が変更されているもの、慣例的に呼ばれる愛称などを記した。山形教授 記」
★1932年 京都復活教会(京都)巣鴨バプテスト教会(東京)
・・・「年表」に掲載されていました。ただし、表記の建築年は「設計年代」で記したという但書きがあります、なるほど。この年表が正しいとするならば、「1932年」より以前は「ありえない」わけです。いろいろ調べましたが、ヴォーリズ研究第一人者の記載が一番信用できそうですね。
【山形政昭】大阪芸術大学教授
1949年大阪生まれ。京都工芸繊維大学建築学科卒業、同大学院修士課程修了。東京大学にて学位取得、工学博士。1998年より大阪芸術大学建築学科教授。専門分野は建築歴史および建築計画学で日本の近代建築及び和洋の住宅建築に関心があり、とりわけ米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築に関して研究をつづけている。著書には『ヴォーリズの建築』(創元社)、『ヴォーリズの西洋館』(淡交社)、『ヴォーリズ建築の100年』(共著、創元社)などがある。大学では主に建築歴史分野の授業や建築研究演習を担当している。社会活動では大阪市中央公会堂や南海ビルなど歴史的建築や文化財建造物の調査、保護に関わることが多い。
★山形正昭監修「ヴォーリーズ建築の100年(恵みの居場所をつくる)」(創元社)ヴォーリーズの建築活動開始から100年を迎えた平成20年に「ウィリアム・メレル・ヴォーリーズ展」(滋賀県立近代美術館)が開催され、その展覧会図録を兼ねた書籍として刊行されたものです。
・・・残念ながら、この本は入手できませんでした。見つけたら、そくゲットするつもりです。
★(株)SOL
604-0981京都市中京区御幸町通丸太町下ル毘沙門町553御幸町ビル403/075-746-2466 http://archi-sol.com/
2014年7月からヴォーリズ設計教会の(木造部分)の100周年事業として耐震改修をSOLで行います。劣化診断は昨年度に京大生存研と共同で行い、耐震設計と施工をSOLで行うプロジェクトです。手法としては、ヴォーリズの意匠を出来るだけ損なわず、また木造部分は主に幼稚園棟となりますので、夏休み中で完工するという要求の中で、格子等のめり込み耐力要素を予め工場生産でユニット化しておき、既存躯体に付加するかたちでの設計としました。木構造が意匠的にあらわしとなりますので、耐力と意匠性(教会にふさわしい)を兼ね備えた抵抗機構を用いることになります。
・・・「神戸女学院」のことが出て来ましたので、
★「最終講義」(技術評論社)/著:内田樹
21年間勤め定年を迎えることになった内田樹さんの、★神戸女学院における最終講義を中心に構成されたものです。そこに神戸女学院のほとんどの建物を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリーズのことが出てきます。そして、ヴォーリーズの設計した神戸女学院の建物と教育あるいは学びの意味が語られていると言えるかもしれません。
★「負けんとき―ヴォーリズ満喜子の種まく日々―」(新潮文庫)/著:玉岡かおる
運命に翻弄されながらも、自らの人生を切り開いていった男女の姿を描く、感動の大作。
明治半ば、播州(兵庫県南部)小野藩最後の藩主の娘として生まれた一柳満喜子。封建的な家で育った満喜子だが、平民の通う女学校に進んで、アメリカ人教師から英語やキリスト教の精神を教えられ、★神戸女学院では音楽を学ぶ。乳兄弟の佑之進との恋は実らず、傷心の彼女はアメリカに留学することに・・・。運命に翻弄されながらも、自らの人生を切り開いていった女の姿を描く感動の大作。
※玉岡かおる/1956(昭和31)年、兵庫県生れ。★神戸女学院大学文学部卒。1987年、『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で神戸文学賞を受賞し、作家デビュー。2009(平成21)年、『お家さん』で織田作之助賞受賞。主な著書に、『蒼のなかに』『天涯の船』『タカラジェンヌの太平洋戦争』『銀のみち一条』『自分道』『虹、つどうべし』『ひこばえに咲く』など。熱烈な阪神タイガースファンとしても知られる。
・・・調べれば調べるほど、調べなければならないこと・読まなければならない本が「山積み」になります。たいへんだけれど、行くとこまで行くしかありませんね。お付き合いください。




