これが結末(松)だなんて、あまりにも・・・お粗末(松)だ
■陸前高田より届いた松、「送り火」の使用を断念
京都の「五山送り火」(16日)の一つ「大文字」で岩手県陸前高田市の被災松を使う計画を中止後、大文字保存会が一転して受け入れを決めた問題で、京都市は12日、現地から届いた松から放射性セシウムが検出されたため、送り火での使用を断念すると発表した。当初の中止に対し批判が殺到したため、京都市が被災松の割木を500本調達。五山の各保存会でつくる京都五山送り火連合会に受け入れを打診し、11日の大文字保存会で五山全ての送り火で燃やされることになっていた。ところが、薪の表皮を削って検査したところ、放射性セシウムを検出したため、取り寄せた500本全てについて、送り火での使用を取りやめることにした。この問題をめぐっては、大文字保存会の松原公太郎理事長が11日、市内で会見。「多くの方に心配と迷惑をかけ、われわれの都合で被災者を振り回したことを心よりおわびしたい」と謝罪した。決定が遅れた理由については「いろんな意見を集約できなかった」と釈明していた。
■五山送り火:陸前高田のまきからセシウム検出/使用中止
東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松から作ったまきを京都市の「五山送り火」(16日)で燃やす計画で、京都市は12日、まきの表皮から放射性セシウムが検出されたため計画を中止すると発表した。送り火の実施主体の五つの保存会は同日、市の決定に従うことを決めた。当初、大文字保存会が単独で送り火で燃やす計画だったが、放射能汚染を懸念する声が京都市などに寄せられ、断念。すると、「風評被害を助長する」などの批判が市に殺到し、門川大作市長が別のまき約500本を取り寄せて燃やすことを五山すべての保存会に要請し、いずれも了承していた。京都市によると、松から切り出したまき(長さ約30センチ)の表皮から放射性セシウムが1キロ当たり1130ベクレル検出された。表皮を除いた幹の部分からは検出されなかった。野焼きの際の放射性物質に関する基準値はなく、市が専門家に問い合わせたところ、「国の基準がない以上、安全という見解は出せない」との回答だったという。今回のまき500本は11日に陸前高田市からトラックで運ばれ、京都市の検査会社「島津テクノリサーチ」に移送。12日午後、市に結果が報告された。500本すべてから表皮のかけら計1キロ分を集め、検査したという。門川市長は会見で、「陸前高田市をはじめ東日本大震災で被災した皆さんに心からおわび申し上げます」と陳謝。「放射性物質が検出されないとの前提が崩れたから中止する。被災地のまきが安全か否かを判断したのではない」と説明した。幹の部分だけを燃やすことは「議論していない」とした。まきは現在、京都市内の民間の倉庫に保管されているが、処分方法は決まっていない。門川市長は「送り返さず、京都で対処したい」と話した。
◇陸前高田市長「慎重にやってほしかった」
岩手県陸前高田市の戸羽太市長は12日、「関係者の善意が結果的にこういうことになり、市民にも心配をかけている」と遺憾の意を示した。京都市に対しては、「風評被害を広げ、他の被災地にも京都市民にも迷惑がかかっている。もっと慎重にやっていただきたかった」と苦言を呈した。門川大作・京都市長から陸前高田市を訪ねる意向が示されたが、同市は「お気持ちだけで結構です」と答えたという。
◇専門家/測定数値は「問題ないレベル」
測定結果の数値について、専門家は「問題となるようなレベルではない」と話す。国際放射線防護委員会の主委員会委員、丹羽太貫・京都大名誉教授(放射線生物学)は「仮に表皮を1キロ食べ、全て体に吸収されたとしても取るに足らない線量」と指摘した上で、「意味のないクリーンさを求めた今回の判断は被災地の方々の気持ちを踏みにじるものだ」と指摘する。また、安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)は「五山の送り火は伝統的神事という性格を持つ。放射能がけがれのようにとらえられたのではないか。今回の件は科学の問題ではなく、文化の問題となっている。解決も文化的に行うべきで、犠牲者への追悼のセレモニーをやった方がいい」と提案する。
■避難所の歌津中学校。地震発生翌日の3月12日が卒業式の予定だった。停電の体育館には今も紅白幕が残っていた。今も物資不足が続き、電話が不通でガソリンも底をつきかけて、物資調達もままならない陸の孤島となっている。救援物資は少しあるものの、毛布もなく、食事は地区の住人が持ち寄ったお米や、差し入れられた野菜でまかなっている。14日は、おにぎり1個とみそ汁1杯だった。
■自分は歌津中学校三年生です被災者です これは自分が体験した震災の記録です。自分は歌津中学校三年生です。被災者です。これは自分が体験した震災の記録です。
先輩たちの卒業式の準備をしてた時に地震に会いました。体育館の照明はほとんど割れていました。マグニチュード9になり、揺れがおさまったところで校庭に出ました。サイレンがなり、6メートルの大津波警報が出ました。しかし、本物は15メートルくらいで、黒く汚れた海水がみんなの町を破壊していました。女子は泣き崩れてました。津波が引くと、体育館に戻りました。友達との再開を喜び、みんなで寝ました。しかし多くの友達は、親戚に引き取られたりしてバラバラになりました。家に帰ると、ふるさとは変わり果てていて、友達の家もこうなっていると思うと、涙が止まりませんでした。夜になると、悲しみが込み上げてきて、みんな会いたいよ、いつも迷惑かけてゴメンね、また部活したいよ、いつも思い出して泣いてたりしました。でも、近所の友達と会うたびに楽しくなり、8キロ離れた友達の家にも自転車で行きました。GW後に学校が始まり、時間が動き出した感じがしました。しかし、田舎なので物資は少なく、ライフラインも復活してないところもあります。仮設住宅が足りず、転校した友達も戻って来れません。田舎なので有名人はあまり来ません。皆さんの支援が必要です。このメッセージを読んで、多くの人に伝えてください。被災者からのメッセージです。長くなりました。質問はどんどんしてください。皆さんの支援お願いします。
■宮城県南三陸町立歌津中学校。1960年のチリ地震津波を旧志津川(現南三陸)町内で経験し、自宅が流された阿部友昭校長(58)が昨年4月に着任した。5月には1年生に当時の話や「命が一番大事、身一つで逃げることが大切」と津波に対する心構えを説いた。海沿いの道路を通らなければ学校に来ることができない生徒も多く、防災訓練では地区ごとに避難、安否確認もした。震災当日。高台にある歌津中は津波被害は免れた。地震発生時、生徒らは体育館で翌日の卒業式の準備をしていた。阿部校長は町内の別の中学校に出かけ、車内で揺れを感じた。帰り道で両親を避難させるために車に乗せ、歌津中に戻ろうとすると、道路は海側から高台に向かう車で大渋滞。「この状況で、海に向かって走ってくる車はないだろう」ととっさに判断し、対向車線に出た。「生きるために、法を超えた行動が必要だった」と振り返った。学校に戻り、すぐに中学の下にある町立伊里前小学校の校庭にいた児童と教職員に「中学校まで上がれ」と声をかけた。その後、同中の生徒らとともに、即座に高台に避難。その直後に襲った津波で、同小は1階が浸水した。3月26日に訪ねた歌津中で、阿部校長は当時約500人が避難していた体育館の運営と、学校再開に向けた業務に走り回っていた。自宅は津波で流され、この体育館で生活しているという。地震の数日後、体育館で避難生活を続ける何人かの生徒に、こう話した。「今度は、君たちがこの津波を、語り継いでいくんだよ」阿部校長は、別の地区にあるいくつかの避難所も訪ねた。「元気でいれば何より。病気するなよ」と歌津中の生徒に声をかけ、保護者には「私も家を流されました。一緒に頑張りましょう」と励ました。「例えば、海外に行って言葉が通じなかったとする。言葉の大切さを知り英語を学ぶ。次に行ったら通じてうれしい。これが生きた勉強で、防災教育も同じだ。自分の身の回りで、10秒でも、30秒でも早く、50センチでも1メートルでも高く、高台に行く方法を、実際に歩いて把握しておくことが大切。いざという時には、自分の判断で生き延びないといけない。それが『生きる力』なんです」。阿部校長の実感だ。
■東日本大震災で体育館が避難所として使用されていたため卒業式が延期された宮城県南三陸町立歌津中学校(阿部友昭校長)で8月13日、約5カ月遅れの卒業式が行われた。写真は卒業証書を受け取る卒業生。
さらに・・・
■東日本大震災:福島小中生、震災後1.4万人転校 夏休み、県外へ1081人
福島県内の公立小中校に通っていた児童・生徒のうち、東日本大震災と福島第1原発事故以降に転校したか、夏休み中に転校予定の小中学生が計約1万4000人に上ることが、県教委のまとめで分かった。夏休み中に県外に転校予定の小中学生は1081人で、4分の3は放射線への不安を理由に挙げた。当初は原発から30キロ圏など避難区域からの転校例が多かったが、区域指定されていない県央部(中通り地方)からの例が多くなっているという。県教委によると、震災発生から7月15日までに県外へ転校した児童・生徒は7672人。県内への転校が約4500人。夏休み中に県外へ転校を予定しているのは1081人、県内への転校予定が755人。文部科学省によると、県内の公立小中校の児童・生徒は5月1日現在で約16万5000人だった。1割近くが転校を余儀なくされた形だ。私立学校生や就学前の幼児、高校生らを含めると「疎開」した未成年者の数はさらに増える。原発事故後、同県では、原発30キロ圏内の学校の多くが県内他校の校舎を借りて授業を行っている。県教委の分析では、7月15日までの転校者計約1万2000人の半数以上は、元々は原発30キロ圏内の学校に通っていた児童・生徒とみられる。今回、1学期終了に合わせて実態を調査した。調査に携わった関係者によると、夏休み中の県外転校予定者の半数以上が福島、郡山両市など中通りの学校に通学していたという。一方、夏休み中の県内転校予定者の約半数は「仮設住宅などへの転居」を理由に挙げた。同県相馬市に避難先から戻るケースもある。県教委は「子供の負担を考えて、区切りとなる1学期終了後の転校を決めた人が多いのでは」と推測している。
・・・このような厳しい現実にさらされながら必死で耐えている子どもたちに、京都「五山の送り火」騒動はどのように映っただろうか???
他人を思いやる心が大切だ、自分にきびしく他人にはやさしく、ひとりはみんなのためにみんなはひとりのために・・・などと美辞麗句をならべてみたところで、子どもの眼には愚かな「大人の現実」しか見えない。


