■「生きろ」「生きろ」「生きろ」灯籠流しの意味
「生きろ」「生きろ」「生きろ」…。揺れるろうそくの炎に照らされ、無数の呼びかけが夜のとばりに浮かび上がる。東日本大震災で911人が死亡し82人が行方不明となった宮城県名取市。13日に行われる「鎮魂灯籠流し」を控え11日、会場となる市立閖上(ゆりあげ)中学校で「生きろ」と力強い筆文字で印刷された1千個の灯籠が組み立てられる。文字は地元の書家、高橋温子さん(46)が書いた。浜から1.5キロ離れた場所で給油所を営んでいた7人家族は、父の慎次郎さん(78)、母の桂子さん(76)、次女の典子さん(44)、三女の裕子さん(42)、長男の功一さん(40)の5人が亡くなった。残ったのは長女の高橋さんと、次男でダウン症の広さん(37)だけだった。「姉弟みんな独身で、とても仲のいい家族だった。葬儀は5人一緒に営んだ」派遣社員をしていた3年前から「香温」の雅号で書道教室を開いてきた日常は失われた。避難所からおばの家をへて仙台市内のワンルームマンションへ移り、そこを仮設住宅として申請した。集会所を借りて書道教室を再開した。56年間営業した給油所は清算手続きをした。「5カ月になり、いつまでも『被災者』ではいられない。
生活しなければ、自立しなければならない。生き残った人間は、生きていかなければならない」灯籠流しの実行委員会から「『生きろ』と書いてほしい」と頼まれた。百数十枚書き、3枚を手渡した。3月11日は雪が舞っていた被災地も連日、猛暑が続いている。夏草が噴き出すように空へと伸びる中、各地で夏祭りや花火大会、そして灯籠流しが行われている。多くは震災のため開催が危ぶまれながら、人々の強い思いで実現した。11日には岩手、宮城、福島3県の10市町で花火計2万発が一斉に打ち上げられる。仙台空港があり、東北一のカーネーション畑で知られる名取市の灯籠流しは例年、市観光協会が夏祭りで行ってきた。震災で中止になりかけたが、民間有志25人が観光協会に実行委員会を作り開催することになった。実行委員で公民館へ勤める大泉徳子さん(46)は高橋さんと同様、津波で壊滅した閖上地区で生まれ育った。「生きろ」の灯籠とは別に灯籠300個を飾ろうと、被災者や市民に仮設住宅や小学校で絵やメッセージを寄せてもらった。《安らかに…》《恵子おばさん、空から見ててね》《復興の道をひらこう!》《仲間がいます》…。大泉さんは「再生への願い、復興への思いが詰まっていた。子供たちも力強い言葉をつづった」と話す。実行委員長を務める水産加工業、桜井広行さん(57)は閖上地区で自宅と加工場を流された。知人の会社でOA機器を使わせてもらい、義兄の車を借りて午前4時に仙台市中央卸売市場へ魚を仕入れに行く。午後は灯籠流しの準備で市や警察、消防との折衝、さらに金策。桜井さんは「今、灯籠流しをやらなければ本当の意味での復興はないと思う」と話す。地震の直後、人々は近くの公民館へ集まり、その後、浜から2キロ離れた閖上中学校へ歩いて避難するうちに津波が押し寄せた。お年寄り33人が低体温症で亡くなった特別養護老人ホームから車いす4台を押して中学校へ向かった職員たちは、津波が迫り車いすを置いて逃げた。中学校の玄関では人々が将棋倒しになり、倒れた人を踏み越えて屋内へなだれ込んだ…。桜井さんは「震災から4カ月、5カ月になって、1人、2人、ぽつぽつと告白を始めた。誰も責められない。皆が心の傷を負っている」と話し、こう続けた。「一方で、亡くなった人たちはあっという間にのみ込まれた。遺言もない。家族や友達へ言葉一つ残せない。がれきを巻き込んだ津波で損傷した遺体も多かった。火葬後にDNA鑑定で別人と分かった人も少なからずいた。この魂たちを何とか鎮めなければ、慰めなければ、この町に未来はない。復興などない」13日夕、水溶性の灯籠を1千個、死者と行方不明者の数だけ名取川へ流す。「生きろ」の灯籠は、あの日中学校を目指しながら、たどり着けず亡くなった人々の道案内の光に、との思いも込められている。
■名取・閖上で13日に鎮魂の灯籠流し運営へ協力呼び掛け
宮城県名取市閖上で13日夜、「なとり鎮魂灯籠流し」が開かれる。「震災の犠牲者の霊を温かく迎え、自分たちの希望の光にしたい」。実行委員長でゆりあげ港朝市協同組合理事長を務める桜井広行さん(57)は、準備に奔走しながら運営資金への協力を呼び掛けている。名取市では毎年8月、閖上地区で夏まつりが開かれてきた。漁船パレードや花火大会、灯籠流しなどが行われ、夜通しにぎわう地元の風物詩だった。しかし震災による自粛ムードの中で、あっさりと中止が決まった。「何もしないで本当にいいのか」。桜井さんの問い掛けに呼応し、若手企業人らが動きだした。6月に実行委員会を組織し、灯籠流しに向けて準備を始めた。桜井さんには、会場を別の場所に移し、朝市を震災16日後に再開した経験がある。震災で桜井さんの自宅と隣の水産加工場兼事務所は、津波の直撃を受けて全壊。朝市会場は跡形もなく消え、50人ほどいた組合員も4人が犠牲になった。それでもスピード再開に向けて突き進んだ原動力は、「にぎわいを生むことが復興への近道だ」という思いだった。朝市は被災者の「再会の場」になり、多くの市民でにぎわっている。灯籠流しを目前に控え、悩みは運営資金だ。例年の夏まつりに出ていた市や観光協会からの補助金計1000万円以上が、ことしはゼロ。桜井さんは会場警備などの打ち合わせを進める一方で、メンバーらと寄付金集めに駆けずり回っているが、あと一歩目標額に届いていないという。桜井さんは「これをやり遂げなければ前に進めない。われわれは閖上で生き続けていくと犠牲になった方々に誓いたい」と力を込める。当日は午後6時に閖上中で開会式を開き、午後7時ごろから名取川に架かる閖上大橋下流で灯籠1000基を流す。閖上中には、鎮魂の思いを込めて住民が描いた絵灯籠300基も飾られる。連絡先は実行委事務局(アットシステム)022(385)1593。
■灯籠流して犠牲者追悼/名取・閖上
東日本大震災で亡くなった犠牲者の霊を慰めようと、宮城県名取市の市民有志が8月13日夜、同市閖上の名取川で「鎮魂灯籠流し」を開く。手作りの絵灯籠で会場を飾るほか、犠牲者約1000人分の灯籠を海に流す計画だ。企画したのは市観光協会の会員や若手経営者、ボランティアらでつくる「なとり観光復興プロジェクト実行委員会」(25人)。震災で中止が決まった閖上地区の夏まつりに代わり、「お盆に犠牲者を追悼しよう」と6月から準備を進めている。当日は午後6時に閖上中で開会式を行い、午後7時半から閖上大橋上流から灯籠を流す。用意される灯籠は、計2500個。このうち1200個は流し灯籠で、水溶性素材で作られる。会場を飾る灯籠は、既に仮設住宅4カ所で被災地住民らが制作に取り掛かっている。一般の人も参加できる灯籠の制作会も、「ゆりあげ港朝市」(日曜午前6~10時、イオンモール名取エアリ)の会場で開かれる。桜井広行実行委員長は「津波にのまれた方々は何とも無念だったろう。犠牲者の霊を供養するとともに、復興の力につなげたい」と話す。実行委は運営費の寄付(1口1万円)も募っている。会場を飾る灯籠のうち約1000個に寄付者の名前を記載する。連絡先は名取市商工水産課022(384)2111。
■あすの灯籠流し企画
お盆の8月13日に名取市閖上地区で灯籠流しをしたい――。5月初め、閖上の桜井広行さん(57)から、そんな思いを聞いた。日曜祝日の恒例だった「ゆりあげ港朝市」の組合理事長。4月上旬に朝市を復活させ、「閖上を一日も早く復興させる」との一念で行動してきた。「鎮魂灯籠流し」と記した預金通帳を見せてくれた。「900人近くが命を落とした閖上で、皆で灯籠を浮かべて、活気ある街によみがえらせると誓えば、供養になると思って」原動力になったのは、素早く避難できなかったために多くの犠牲者を出したという後悔だ。あの日、母(81)と息子(7)を連れて車で避難する途中、道行く人に「津波が来る、逃げろ」と叫んだが、ほとんどの人は立ち尽くしていた。「津波に対する危機感が薄かった。起きたことを忘れないためにも、家族や仲間がどんな思いで亡くなっていったか想像力を働かせないといけない」と語る。6月に実行委員会が立ち上がった。賛同の輪が広がった。今月7日には、東京都内のボランティアが閖上中学校を訪れ、灯籠作りを手伝った。「ふるさとへ 思い出は 消えないよ」「久実あいたい 皆元気で ガンバルヨ!!」灯籠には、思い思いの言葉が書かれた。13日は名取川の河口で1200個の灯籠を流し、閖上の道路沿いや中学校の正門付近に飾り灯籠1千個と絵灯籠300個を並べる。今、閖上に住人はおらず、津波で破壊された家や学校が並んでいる。そんな閖上で行うことに意味があると考えている。「思い出の詰まった閖上に亡くなった人の魂があるなら、灯籠流しをすることで慰めになるかな」。桜井さんはつぶやいた。
■水面に1000の灯籠 宮城・閖上で新盆
東日本大震災の初盆を迎えた13日、大津波で壊滅状態になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で、住民が企画した「なとり鎮魂灯籠(とうろう)流し」が開かれた。事務局を担う市役所が復興に追われ中止の方向だったが、住民が「震災で多くの人が亡くなった今年こそ霊を慰めたい」と実行委員会を作り、実現にこぎつけた。鎮魂の願いを込めた花火も打ち上げられ、遺族らはさまざまな思いを胸に夜空を見上げた。地区を流れる名取川の水面を、約1000基の灯籠の明かりが揺らす。同市の死者・行方不明者数993人にほぼ等しい。一つ一つに、遺族が亡き人への思いを書き記していた。「会いたい、会いたい」千田いなよさん(63)が書いたのは、夫(当時68歳)へのメッセージだ。3月11日の震災発生時、閖上の自宅で一緒にお茶を飲んでいたのに、夫と自宅は津波に奪われた。「まだまだ心の整理はつきませんがつけられたらいいなと思って……」と声を詰まらせた。実家で暮らしていた母富子さん(同68歳)を亡くした安島光秀さん(38)=同県大崎市=は「母の魂を慰めたい。灯籠には追悼の気持ちと復興への願いを込めた」。実行委スタッフらが灯籠を名取川に流すのを見守った小斉幹則さん(53)は母たまのさん(同86歳)を津波で失った。「天国で見守ってくださいと灯籠に書いた。流れているのを見て供養になったと思えた」と話した。同市の灯籠流しは本来、市観光協会が開く夏祭りの恒例行事。事務局役の市職員が震災関連業務で多忙な今夏は、中止が濃厚だった。だが、市内でも特に被害が大きかった閖上地区から「今年こそ慰霊を」との声が上がり、住民25人が観光復興プロジェクト実行委員会を設立した。地元からは、例年と同じ花火の要望も上がった。ただ今夏は意味合いが異なる。犠牲者は無事に天国へ向かってほしい、助かった人は「上を向いてほしい」--。そんな願いだ。宮城県警は警備上の理由で難色を示したが、事前告知はしないという条件で実現した。自宅が流された実行委の桜井広行委員長(57)は「大震災で生き残った人たちも心に深い傷を負った。灯籠流しで少しでも傷を癒やすことができたらうれしい」と話した。
釜石でのキャンドルナイト・・・
■キャンドルナイト in 閖上2011/なとり観光復興プロジェクト実行委員会
http://www.yuriage.jp/candle/index.html
2011年3月11日の東日本大震災で名取市でも多くの方が被災しました。900名余りの方が亡くなりいまだに行方不明の方もいらっしゃいます。この悪夢から抜け出せずに一歩を踏み出すまでに至っていない方も大勢いらっしゃると思います。ゆっくりと過ぎ去る時間がこうした心の痛みを和らげてくれるのかもしれません。そこで、今回、灯籠流しとともにロウソクに火を灯して震災で亡くなられた方を慰霊する催しを実施致します。ロウソクに火を灯す催しは「阪神大震災」の神戸市でも節目の時期に実施されているのと同様の催しです。2,000本のロウソクを灯して亡くなられた方たちの御霊を慰霊します。今回実施するものは遺族に限定せずにより広く一般の方にも参加して頂き、市民、住民の手で震災で犠牲になられた方々の御霊を厳かに慰霊する催しとします。そして、「キャンドルナイト」は、震災1年後の来年3月11日にも実施し、その後毎年同じ時期に継続して開催して、閖上の町が不死鳥のように見事に復興しているであろう震災から10年の節目の年まで続けて行えるような催し物とします。




